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玉子が好きな話

『主婦のようなことを書くが』、なんて書き方をすれば主婦の皆さんは気分を害するだろう。
私は決して主婦の皆さんを馬鹿にしているわけじゃない。
羨ましく思っているくらいである。
私はいつも専業主夫になりたいと思ってきた。

高校を卒業して、いろんな仕事をやって来た。
なかには人に言えないくらい辛いことも、人に言えないくらい怖いこともあった。でも、仕事ってのはそんなものである。ゼネコンや設計事務所の仕事に限った話じゃない。仕事には知恵を使わなければならないし汗を流さなければならない。多くの競争相手と闘わなければならない。いつも真剣なのである。

そのためには当たり前ではあるが、ホームグラウンドである家庭がしっかりしなければならない。崩れかけたり崩れた家庭から仕事に出てきた男たちはその仕事のやり方や仕事への情熱の傾け方、その男の醸し出す雰囲気でいつも分かるのであった。

私もそんなふうに思われたのであろうか。息子の教育方針で家庭内戦争は始まった。私はその年齢でしか出来ないこと、やらねばならないことが人生にはあり、それをたがえることで人間は歪むと思っている。子どもには『よく遊びよく学べ』である。親が経験しなかったような遅い時間までの塾通いをさせ、帰って塾の宿題もあれば翌日の学校の準備もある。出来るような量じゃないと見ていた。息子ははなから放り出し、塾の宿題はやらずにテストの好成績だけを納め、塾の担当に生意気だと殴られていた。
そんなことを知りすぐに塾は辞めさせた。中学もよく似たもので私の知る世界とは変わり果てた中学だった。「不登校でも義務教育は卒業できます」と言う校長にその場で離縁状を渡して息子と中学を後にした。

そして、もう子供ではない息子に選択させて私は息子と二人での生活を始めたのである。それからは責任のある毎日だった。『食べる』、『寝る』を中心に生きるために朝から戦争だった。朝飯を作り、弁当を作り、どうしても外せない夜の付き合いがある時には晩飯の準備もした。考えれば、今、苦無く主夫としての作業が出来るのはその時の訓練の賜物である。

その頃玉子にはよく世話になった。簡単でいい。使い勝手がいい。創作の想像のし易い。毎朝弁当には玉子焼きを焼き、炊き立てのご飯に生の玉子は欠かさず、時間ある日曜日の朝はゆで玉子か玉子焼きのサンドイッチをよく作った。

今は時々そんなことを思い出しながら朝目覚め、一階に降りて湯を沸かしコーヒーを淹れる。家にいる時はいつもそんな感じで一日はスタートする。
そして何を食べるか考える。私の場合、朝メシは生きる上で基本である。
障害を持つ若い子達と生活をともにすると、時々朝メシにまったく手をつけない子に遭遇する。朝起きていきなり薬だけ身体に放り込むのである。最初は心配だった。でも少し考えて腑に落ちた。ああ、多分朝メシを食べる習慣が無いのだと。ひょっとしたら、ご両親も朝は食事を摂らないのかも知れない。薬だけ、コーヒーだけで朝から動き回れる体質が作り上げられているのであろう。

私には決してそんなことは出来ないし、離れて生活する息子も朝飯を欠かすことは無いと言う。それでよかったと思う。それを主夫を目指す私は普通のことと思っている。
そして、大切だと思っているが強要出来ることではないとも思っている。
年齢を重ね経験を積んだことで私の考えが一番であり、正解であるとは思わなくなったのである。
歳を取れば頭の柔軟性は失われ、我が道を真っ直ぐ進むものと思っていたが、そうでもない今を思い、まだそれほど歳を取っていないのかなとも思うのである。
でもこの秋がやって来ればまた前期高齢者に一歩近づくのである。


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