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トラの『耳ぽっち』 第三夜

人の世は難解なことが多い。
私たち猫はいつも自然体、見たままのそのままの猫がここにいる。

この男が大阪で合気道を再開した直後、同じ道場の一回りほど年上の先輩に誘われるまま近くにあった先輩の経営する不動産会社までついて行った。
古いビルの二階のこじんまりした事務所は懐かしいような不思議に落ち着く空間であったそうな。
「好きな場所に座れ」と言われ、一番の特等であろう社長席にこの男は座った。
時々素直に人を驚かすようなことをする男なのである。

たまたま目の前にあった開かれた台帳に目を落とすと、知った名前がある。
「植杉さん、これ顧客台帳でしょ、この高木勲って京都の人じゃないの」コーヒーを淹れてくれていた植杉先輩、「宮ちゃん、エライもん見てるな、知っとる人か?」植杉さんは驚き、この男も少し驚いたそうな。
ある自治体に所在する大きな老人ホームの理事長で、お父さんは某政令指定都市の議会の議長を務めた人だ。
その老人ホームはこの男の会社の施工だったそうな。

どうして大阪の不動産屋の顧客台帳に名前が載っているのか聞けば珍しい話でもなかった。
まだバブルの余韻残るその頃、植杉先輩は北新地のクラブで知りあったそうな。
高木さんは顔の刺さない大阪までお忍びで遊びに来ていたようであった。
そこで意気投合して大阪の別宅を植杉先輩が仲介して管理までしていた。
そこに住むのはもちろん女性、奥さんではない女性の部屋となっていたのだ。

聖人君子のフリして、福祉の伝道師のマネをして、実際やっていることはそんな人間臭い事。
「でなきゃ、やってられねえよ」、なんて世界なのかも知れない。

この男は『見た目の通りの人間なんて面白くない』、と常々言っているが、この場合には意味が違うだろうと私にでもわかる。

人の世は難解なことが多い。
着たきり雀の私たちに表も裏もありようがない。

私は猫に生まれてきて幸せだったとこの男の枕になるたびに思うのである。


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