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美しいものを愛でて

美しいものが好きである。
それは花であり、宝石であり、文章であったりする。

美しいものは感動を与えてくれ、時には心を癒してくれる。

ここで出会う若いサラリーマンたちに以前の自身を重ねる。
私にもこわいものなど何もなく己が思いで突き進む時期もあった。
しかし歳を重ねるごとにどうしようもない現実に遭遇するようになる。

徐々に1たす1が2でなくとも息が出来るようになり、理不尽を理不尽と感じなくなっていった。
その代りに毎晩浴びるほど酒を飲み、暴れてケンカもした。

その頃は花にも本にも目はいかなかった。
そんな頃を思い出しての文章だった。

夏井いつきが選者をつとめる松山市公式俳句投稿サイト『俳句ポスト365』に二年位前に投稿した。

兼題は『秋薔薇』、もちろん秋の季語である。
寂しく暗い冬に向かう、たった今とはまったく反対の季節である。

◆今週のオススメ「小随筆」
お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪

秋薔薇なんて言葉があるのを知らなかった。
サラリーマン時代、大阪中之島公園にあるバラ園に会社に戻る途中よく立ち寄った。
花が好きだからではない。目にすれば心は動かされるが好きだから行ったのではない。

気持ちと心の整理が必要だったのである。

ゼネコンでの営業は毎日会社が喜ぶ話ばかりを持って帰れるわけではなかった。営業先で心を打ち砕かれ、会社への帰路は辛く、足が重たいこともあった。大川沿いを歩いたあの頃、中之島公園に吹く風は冷たくなりかかっていたかもしれない。
びっくりするほどたくさん種類があるバラに驚き、美しい一つ一つの花に見入ってしばし時を忘れた。
これから寂しい冬に向かう時期だから尚更あの時のバラは私の心に残ったのだろうか。勢いのよかった草木の緑も褐色に変わり始め、ほかに咲く花は目につかない。
日曜日ほど人のいないバラ園、ちらほら歩く人はいるが休日のはしゃぐ子どもたちの声は聞こえない。

まだ若く勢いもあった頃の私である。
草木は自然体だ。 そして秋薔薇も。

秋薔薇のなかで私も自然体になれた。
秋薔薇たちは私の行く手を遮ることは無く、背中を押してくれることも無かった。
それでいい、ただいてくれるだけでよかった。
もう私の心は十分に癒されたのだから。 /宮島ひでき

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