見出し画像

トラの『耳ぽっち』 第十三夜

 ー トラウマだと言う当時の挨拶回り ー

私は猫のトラ、私の耳だけしか知らないこの男の話、『耳ぽっち』の話である。
毎年この時期にこの男から聞かされた愚痴を思い出す。いつまでこんな下らんことをやるんだと言っていたことを思い出す。

まだ令和に入ったばかりの頃だ。新年初出の四日はいつもより早く出かけていた。誰よりも早く行って、来た人間、顔を合わせた人間に順番に新年の挨拶をしたと言う。遅れて行くのに気まずさを感じたと言う。
そして、集合して支店長の新年の挨拶があり、その後、各部に戻り部門長が挨拶して皆で酒を酌み交わし「今年もよろしく」と、午前中には三々五々会社からいなくなることが許される時代だった。
銀行は例外だったが、どの会社もやってることは同じで、初出の日には早い時間に誰もいなくなるので挨拶回りはその次の日からだったそうな。

しかし、営業部のこの男は翌日からの準備で会社に残り、得意先への挨拶回りの準備をしていた。得意先の行く部署部署に置いてくる名刺を準備するのだ。各役員、部長から担当まで役職・氏名を記入した専用の封筒に挨拶に行くメンバーの名刺を事前に入れておくのである。よほど親しくない限り、基本的に正月の挨拶ではアポは取らない。受付に置くための名刺の準備を夕方まで一生懸命やっていたのだ。いるかどうかも分からないし、こちらも行かずに誰かが名刺だけ置いて帰っても相手は確認のしようが無いから無駄が多いのになと言っていた。

そうこうするうちに陽は傾き、携帯電話が普及する前のこと、外線の電話が入り、受ければ先輩である。「先に飲んでるから来い」と言われ、行けば先輩同僚たちが先に飲んでいる。
皆、正月の家族サービスで疲れ切り、やっと解放されたと酒を酌み交わす。
思えば大阪支店所属でありながら大阪出身者はいなかった。皆、女房子供を連れて里の両親たちに孫の顔を見せるための強行軍を強いられている連中ばかりだった。正月休みは休みではなかったのである。
皆で酒を飲み、正月ボケの頭を会社頭に戻すのである。
そして、フラフラで家に帰り、翌日から二日酔いで挨拶回りは始まったと言った。

そして、時代は変わった。
でも、悪しき習慣が排除され同時に良い事も失ったのではないかとこの男は言っていた。
こんなことを機に無くなってしまう仕事も出てくるのであろうとも言っていた。

流行り病もそれを加速させたのだが、時代とともにすべては変わっていくのだが、何を残すのか、何を切っていくのかその見極めが難しい、とこの男は珍しく酒も飲まずにぼやいていた。

やはり人間の世は大変なようである。
私は猫でよかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?