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私の今年の目標

なんだか小学生の冬休みの宿題の作文のタイトルのようです。
漠然とした目標はいつも持ってはいるのですが、少し具体的に今年進むべき方向を示してみようと思いました。

まずは『合気道』です。
最近自身の体力、筋力の衰えを強く感じるようになってきました。40年以上続けた稽古で膝と腰はあまりよくありません。そこで今年は真剣に鍛え直そうと思っています。今やらなかったら手遅れになりそうな、そんな気がしています。
そして自分がこれまで身に付けたものを置いていく事です。合気道ばかりではないと思うのですが、会得とは人それぞれであり、すべての人が同じように身に付けれるものではないと思っています。人間の身体の仕組みは同じです。しかしながら部品の一つ一つの長さや大きさは違い、力の強弱もあります。だから考え方を同じにしても、私がする技をほかの人が全く同じには出来ないのです。
ですから私は言葉による私の考えと、畳の上での動きとで伝えます。それを目と身体でどう感じ、受け取ってくれるかは本人次第となります。
私が置いていこうとしているものが全て私の思うように伝わらなくとも仕方ないと思っています。伝え受けた人間がまたその時から、私がそうだったように模索し稽古して本物を見つければいいのです。見つけることの出来たあかつきには私を越える本物を自分の物にしているに違いありません。

そして、もう一つは『何かやること』を見つけることです。
死ぬまで続けることの出来る何かをです。もちろん仕事でも構いません。対価のある方がモチベーションとなっていいかも知れません。男性の平均寿命までのあと二十年ほど続けることの出来る何かです。
今から二十年前、ちょうどゼネコンを辞めた頃でした。まだ両親の介護・看病は無く仕事に没頭し、息子の相手もしていた頃です。それからの二十年間は長かったです。この二十年間のように大変な時間がこの先の二十年間に流れることは無いように思います。そう考えるとかなりの退屈の消費に、努力の必要な時間が流れそうです。だから何かを見つけようと思っています。まだ漠然と考えるその『何か』に向かって、努力して『見つける』につなげたいものです。

新年の元旦に部屋にいて自身の未来を考えるような時間はこれまでありませんでした。今年はとても平穏な時間を過ごしているということです。ここまで生きてきて様々な経験をして来て、あきらめることなく生きて来たから生まれている時間です。
何かあれば短く、何もなければ長く退屈な時間を大切に生きて行きたい。そんなふうに意識すようになったのは私の大きな成長だと思っています。この歳になって成長もおかしな話ですが、人として生きるためになすべきことをやっと終え、これからが自身の本当の時間がやって来ると思えているのです。
損なお鉢ばかりが回ってくると思ったのは渦中にいたからで、そんなお鉢を全身で受け取ったから今があるんだと安堵しています。

今年はスタートしました。つつがなくまた来年の正月を迎えることが出来るよう一歩一歩進んで行きたいと思っています。


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