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晩飯をたべて思ったこと

酒での記憶が多い。
毎晩飲んでたら当たり前のことかも知れない。

こんな時期だった。
南森町の合気道の先輩に呼び出された。個人で営む不動産屋さん、夕方連絡があって二人で飲んだ事が何度かあった。
その日も先輩の事務所に向かい、一階のカウンターだけの飲み屋で待った。
南森町まで会社のあった京橋からタクシーで2メーターくらいだったと思う。何かあったわけではない、先輩とはその時もたわいもない話で別れた。

そして、その晩は気が向き地下鉄堺筋線のホームで来る電車を待っていた。
ホームで文庫本を開きながめていると右からふらふら歩いて来る男が視界に入った。そしてその背後からは電車も。あっ、と思った瞬間に男と電車は接触した。軽いカツンという音とほぼ同時に少し離れていた男を右手で力一杯引いた。男はホームに転げ、駅員が駆けつけてきた。電車は止まったまま、駅員はすぐに状況を察していた。補足を説明して酔った男を駅員は駅務室に連れて行った。男は額から血を流し私はハンカチを渡した。動転していたのだろう礼どころか私の前では一言も発しなかった。駅員は私が引っ張らなかったら、かすり傷じゃ済まなかったと言っていた。

駅員には名刺を渡したので後日会社に連絡が来た。礼をまた言われ、男から連絡ありましたか?とも。何も連絡は無かった。ハンカチはお気に入りのタオル地のヤツだった。腹が立つことはなかったが猫の刺繍のハンカチが可愛そうであった。

反射的にカラダが動いていた。ほとんど本能での動きだったと思う。考えずに動くことが正しい場合もある。考えて動かねばならない場合ももちろんあろう。しかし、逃したタイミングにほぞを噛むこともある。考えての判断てのは難しい。多くの情報を頭に詰め込んでなるべくベストのタイミングで実行をする。それでも誤りはあるものである。そんな時は素直に「ごめんなさい」だろう。

でもそれにもタイミングはある。失えば一生口に出来ない事もあろう。
『勇気を持っての素直さ』ってのはなんだか変な日本語であるが生涯で何度かはそんなことがあるかも知れない。

私の取った行動と男の沈黙、案外よくある話なのかなぁ、とニュースを見ながら思い出していた。
お母さんの作った温かなご飯でも食べて落ち着いて考えれば正しい答えは出てくるのになぁ、と晩メシを食べながら思った。

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