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ハナミズキのちから

唐突であるが、この時期のハナミズキが好きである。
子どもの頃、見向きもしなかった私の記憶には全くないハナミズキである。
息子が小学校に上がる直前に奈良県東部の大きなニュータウンに転居した。
そこには息子と自転車でいける距離に奈良公園に次ぐ県内で二番目に大きな公園があった。

息子と二人でよく行った。自然をそのまま残した地形には丘も、古墳も池もあった。日曜日に息子と散策し、釣りをした。

私は野球をやったことが無い。高校時代サッカー部にいたが球技も団体競技も好きではなかった。それでも息子とはキャッチボールをした。キャッチボールは男の親子で必ず一時期はやらねばならない男同士の約束事で女性に理解してもらうことの無い秘め事のように私には思えていた。

この公園の入り口にたくさんのハナミズが植えられていた。
春のぼんやりした青空に白や薄桃色のハナミズキは美しかった。

会社は音を立てずに傾き出し、人の不幸を耳にして胸をなでおろす、それまで想像だにしなかった世の当たり前の空気を実際自分の肺で吸い込むまいと二つの心が戦っていた時期でもあった。
だからなおさら記憶に残っているのであろう。

ハナミズキの下では柳のように幽霊は出て来そうにない。
ハナミズキのもとであったならば宮本武蔵も幼少の吉岡源次郎を切りつけは出来なかっただろう。松にはそんな力がある、一乗寺下がり松はそんな風景を似合わせてしまう。
ハナミズキまったく違う世界の植物のように思う。

爽やかな青空と人の心を清々しくするハナミズキ、いつも新鮮なあの頃の気持ちに帰らせてくれる。
もう二度と巻き戻せは出来ない時間とわかってはいるがこの時期だけハナミズキを見て感傷に浸る。

思えばそんな樹や花がいくつかある。
花なんて女の世界のことと、うそぶいていたあの頃の自分ではないのである。
繰り返し同じ時期に咲く花や新緑は毎回私の記憶を開花させ、その記憶の色の濃さを変えてくれる。
薄くなり、あるものは濃くなり、私を少しずつ生きやすくしてくれる。
そんな自然の力に感謝し、この時期はハナミズキに感謝する。

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