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酒を飲む理由(わけ)

私が酒を飲む理由、それはそれほど難しいことではない。
世に酒があるからである。
酒を悪く言う人がいるが、酒が悪いわけじゃなく、飲む人間が悪いのである。でも、それは仕方のないことかも知れない。人の性格が違うように酒への耐性が違うし酒に対する考え方も違う。
私は酒に多くを求めることは無いから、この先も酒に溺れることは無いだろう。
それに、やることが無いから「酒でも飲もうか」とはならない。
やることが、あってあってどうしようもないから「酒でも飲むか」となる。
同じ酒でも家で何もすることが無く「じゃあ」ということで、口につければ缶ビール1本飲めないかも知れない。
そんなものである。
酒に原因があるのではなく、飲む人間が酒の良し悪しを作っている。

良い酒と悪い酒は、ある意味、発酵と腐敗とに似ているかも知れない。どちらも微生物による有機物の分解なのである。同じ過程を通っての変化なのに発酵した酒はもてはやされ、害ともなりうる腐敗に目を向けるものはいない。むしろ忌み嫌われる。酒の飲み方、酔い方になんだか似ている.

酒は楽しく飲みたいものである。一仕事終えて頭の切換えで昼から一人一杯やるのもいい。私はそんな時には決して飲み過ぎることはしない、昼間からへべれけになるほど酔おうと思うことは無い。そんなところはわりと、常識があるんじゃないかと思っている。

昼飲みをとやかく言いたがる世間の狭い方々が少なからずいる。世の中には9時5時で働く人間ばかりじゃない。朝早く働き始める人間もいれば夜を通して働く人間もいる。そんな時間を必要に迫られて働く人間も、そんな時間じゃなければ働きにくい人間だっている。彼も彼女も多くの人たちがいろんな時間にいろんな場所で働いてくれている。それで世の中は回っているのである。まずはそれをご理解いただきたい。
その仕事が終わって一杯やるのである。

そんな種類の人間を相手に、早い時間から店を開けてくれる店主には頭を下げたい。隣が早くからやって儲けている、だからうちも早くに開店させよう、ではないのである。私が飲み屋時代に世話になった先輩がそんな方であった。いろんな商売を若い頃からやりいろんなスタイルの飲み屋を経営してきた。私を同じ匂いのする変わった奴だと可愛がってくれた。その親父は閉店後、店に入り仕込みを始め、明け方市場に入り仕入れを済ませ、再び店に入り夜の仕込みを始めながら朝8時に店を開けたのである。「宮さん、こんな時間にも疲れて帰る人間もいるよ」心根の優しい強面の親父だった。17時開店の私の店も毎日覗いて、なんだかんだと世話を焼いてくれた。お客さんを含めて私は多くの人たちのおせっかいで生き抜くことが出来た。そしてその親父は私と出会った時から不治の病を抱えていると言っていた。よく宮本輝の文庫本を開き私の店のカウンターに肘をかけて焼酎のロックグラスを傾けていた。私が飲み屋を辞めた後も気にかけてくれた。そんな親父は亡くなってもう2年にもなる。

今、私は午前中にカウンターにつくことがある。一仕事を終えて次の作業のために頭の整理である。そしてそんな時にゼネコン時代、設計事務所時代、飲み屋時代、介護職の時代に世話になった多くの人たちを思い出すことがある。
嫌なこと、辛かったことは忘れ午前中の爽やかな空気に包まれた、脂っぽい喧騒がまだ無いカウンターで一人酒を飲むのである。

私の酒を飲む理由を考える。
人との会話のツールだとかおつかれさんのご褒美だとか、誰もが口に出して言うことよりも、「そこに山があるからだ」と言った登山家がいるようにそこに酒があるからだけかも知れない。今はただただ午前中の爽やかな空気に身を置いて酒を飲みたいだけなのかも知れない。


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