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クリスマスが近づき思い出す、まったく関係ない『鮫』のはなし

クリスマスの近づくこの時期、それとは関係なく営まれ続ける様々な『生』があります。
『環世界』って言葉をご存知でしょうか。
人間は自身の持つ五感を当然のものとして自身を中心に物事を知覚して考え、自分達の価値観で周りの世界を決めつけようとします。
しかし、地球上の生物で五感や第六感まで駆使して活動しているものばかりではないのです。動物や昆虫達をよく見ていると私達のそれとは違うことを感じる事が出来ると思います。それぞれの持てる知覚のみで作り上げる主観的な世界が『環世界』です。
そしてそれはよく考えれば実は人間の中ででも同じなんだと気づけるかも知れません。
障害を個性だと呼びお茶をにごす人もいますが立場が変われば障害は健常と入れ替わるかも知れません。
よく似たことだと思います。

ちょうどこんな時期にまだ幼稚園に通っていた息子と大阪の海遊館に行ったことがあります。幼い息子はたくさんの色とりどりの初めて見る魚を目の前にして喜んでいました。海遊館の呼び物であるバカでかい水槽に入れられたコレまたバカでかいジンベイザメを見た瞬間は私も正直驚きました。
でもすぐに悠々と泳ぐという表現が正しいのかいささか疑問が湧いてきたのを憶えています。

ここに連れてこられるまでは広い広い大海原、南の海で海流に乗りゆったり移動してあの大口でプランクトンを食べていたんだろうなぁ。日がな一日のんびりふわふわと。それこそ悠々と見えたに違いないだろうなぁ、と。
それが狭いガラスの箱に閉じ込められたくさんの人間のための見せ物になってしまった、そう考えた瞬間、お世辞にも幸せそうには見えなくなりました。

幸せを奪った人間は人間の事しか考えません。
水族館も動物園もすべて人間の都合ばかりです。
そして、鮫をある時は海のギャングと呼び、ある時は愛称まで付けてかわいがったりします。それはすべて人間の身勝手です。
鮫の都合などどこにもありません。

鮫はそんな身勝手な人間に生まれて来なくて良かったとも思っているに違いありません。鮫に生まれたくてこの世に出て来た鮫は一匹もいないでしょう。今年六十一となった私は、まさか大阪の人間になるなんて思ってみたこともなかった。それと同じかは分かりませんが、鮫を見てそんなことを考えたことがあります。

でも、静かな静かな深海で硬い金属どうしがこすれ合う音が響き渡る、何事かと探し見ればそれは愛し合う鮫のつがいが身を擦りつけ合う、鮫肌のこすれる音だった、、
なんともロマンチックに感じるこれも、私、人間の勝手な想像ですね。

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