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秋の夜長に考えた

気がつけば秋。
少し冷たい空気の中で、少し切なく悲しい気持ちになる。
少しばかりの人生をまだ登り切ったわけでもないのに、
少しばかりの人生を、生きたつもりになっている私がいる。

秋はそんな季節である。
いくつになってもセンチを感じフッとつくため息が許される時季である。
日々のごたごたをすべて忘れ去って、この我慢の出来る冷たさに身をさらして、遠回りして帰ってみたくなる。行き先を決めずに一区間だけの乗車券を買っていつまでも電車に揺られていたい気持ちになる。
逃げ出さなければならない何かに追われているわけではなく、置き去りにして消えてしまいたい何かがあるわけでもない。そんな気持ちになることを許される、そんな季節なのである。

気がつけば滞ることなく稲刈りは終わり、故郷の秋祭りは澄んだ空、青黒い秋空のもと行われるのであろうか。兄とともに歩いた中学生の坊主頭のように綺麗に刈り取られた田の続く道を思い出す。今思い出すとその先は無く、どこまでもどこまでも続いていたように記憶する。
しかし、それはあり得ぬことで道はどこかに続いており、道はどこかで行き止まる。すべてには終りがあり、終わりの無いすべては無い。

世には多くの人が生き、多くの希望や明るい未来ばかりでなく、多くの野心や妬みや嫉妬を渦巻かせている。そんな中で生きていかねばならぬことをこの歳で悩むことは無くなった。「それがなんだよ、何が言いたいんだよ。」と、一蹴できるようになった。大人になったなぁ。そう思えるこの秋である。

63回目の秋、秋はいい。

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