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トラの『耳ぽっち』 第十一夜

― 誰かが作り出している世の中の仕事 ―

ちらほらと郵便受けに舞い込む喪中のハガキ。
この男はとうの昔に年賀状を書くのをやめてしまった。
それでも毎年来る年賀状にせっせと返事を書くのが一月中の慣例になっている。

私はトラ、この男のご両親から引き取られて大阪までやって来た。
この男の夜聞く話は面白く、時に悲しく、時にホッとさせられる。
サラリーマン時代は辛い、悲しい場面ばかりに遭遇したようなこの男だが、たぶんそんなことばかりじゃ生きてこれなかったと思う。
今宵は、やって来た喪中ハガキで思い出した素敵な先輩の話だそうな。

東京新宿区津久戸八幡、この男のいたゼネコンの本社の所在地だ。
同じ住所のマンションに住む高齢の女性からその一枚は届いたんだ。
この女性のご主人はもとは同じゼネコンの社員、一回り上の大先輩、この方は生え抜きの社員じゃなくて、中央官庁出身の方、いわゆるOBとは違う若い年齢で民間会社のゼネコンに移籍した方。

何か理由があったに違いないが、それを聞く前にあの世に行ってしまった。
そもそも出会ったのはそのゼネコンをこの男が辞めた後だった。

その頃、この男は関西大手私鉄の設計事務所にいた。
ある日ゼネコン時代京都営業所で世話になった所長が会社にやって来た。
そして、この川崎さんを紹介してくれた。
もうゼネコンは定年退職された年齢だった。
ご出身の中央官庁の外郭団体の代表をされていた。
そして、いまだにそのゼネコンの外部営業マンのような事もしていると言っていた。

今回のミッションは、ここの自治体の首長の応援隊長としてやって来たと説明された。
ここの自治体の首長はおなじ中央官庁出身、共に席を並べて仕事もしたと言う。
活きた公費を費やして首長の手柄としたい、そんなことを全国でやっていると言っていた。

子会社の設計事務所勤務のこの男の話は眉唾と相手にされなかったが、親会社の優秀な企画畑の男に話を繋ぎ、いきなり自治体の担当課長も連れて、翌週には霞が関の本庁の会議室にいた。
審議官を筆頭に課長以下十数名、こちらは自治体担当課長、親会社の部長、設計業者の私、そして川崎さん。
すべては話がついており、単費で決済できる事業がその場で決まった。

こんなふうに決まるんだなと、この男は思ったそうな。
役所の人間も普通の人である。
四角四面の生き辛い、世知辛い世の中が全てじゃないと教えてもらえたと言っていた。

ただ、役所と民間、動かす金の種類が違う。
税金と、個人の金、それさえわきまえれば今はこの社会から無くなったと言われている『談合』があってもいいとこの男は言っていた。
この男の仲間の公職の立場の男たちも真面目に有益に税金を使ってもらうために100%ダメとは言いたくないと言っていたそうだ。

この男、いつも上京すると新橋の居酒屋で腹いっぱいご馳走になって最終の新幹線で帰って来た。
夜中に酒臭かったよ。
玄関でまだ缶ビールを開けたよ。

私は猫、この男の飼い猫になって人間社会をずいぶん教えてもらった。
『人』の織り成す人生は無限の可能性を秘め、一人で成り立たせるものではないことを。
皆が同じ方向を向いて進まねばどこかで必ず崩れてしまう。
小さな一人の力は、合わせれば大きくなるということも。

そして、こんな人は早く居なくなってしまう。
あっけない病死だった。
京都の所長と東京まで葬式に行った。
関西の自治体首長から丁寧な弔電が届いてた。


喪中のハガキはその方の奥さんから。
お姉さんが亡くなったそうな。
奥さんとは葬式で会ったきり、手紙とハガキだけのやり取りが続いている。
お子さんがいなく、頼りないこの男を息子のようにも思ってくれてたのかも知れない。

すべては昭和の匂いの残る思い出でのようである。
またそのうちそんな思い出話をしたいと、この男は言ってるよ。


世話になった京都営業所長はこの人です


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