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石で思い出す

『豚に真珠』『猫に小判』と辛口先輩方からは笑われてしまいそうであるが、子どもの頃から宝石も含めた石が好きであった。
拾って帰り、ポケットに入れたままでよく母に叱られた。
10円玉は拾えなかったが変わった石ころ、きれいな石をよく見つけた。

父は長く海外勤務をしており、毎回石だけ買ってきて、指輪やネックレスに加工させていた。
豊川稲荷から徒歩圏内の宝石店が母の贔屓の店であった。
私も何度か連れて行ってもらったが子どもが出入りする雰囲気の無い静かな店内に妙にショーケースがピカピカだったのを記憶している。
母は身なりに金をかける女性ではなかったが換金できる資産として残そうとせっせと指輪やペンダントをつくっていたようである。

そんな母の元来の人の良さをアルツハイマーは加速させ、私が気が付いたころにはそのほとんどを生前贈与した後だった。
まあ、母が気にかける人の手に渡ったのであろうからそれで良しとするしかない。

台湾の母、黄絢絢からも翡翠や金の装飾品をいただいていた。
黄家の家宝の翡翠は天候で色合いの変わる子どもの私が見てもきれいな白い緑色だった。
彼女たちは生き延びるために貨幣ではなく宝石、貴金属を持たねばならなかった。
私たちの装飾目的とは違う、だから桁外れに素晴らしい物を持っていた。
いざという時に身に付けて国を離れ、生きて行くための手段なのである。
二度とそんな時代が来ないで欲しいと願っている。


ここのアクティさんがnote三周年突入記念で気になる石、思い出の石で記事を作成してくれるという企画をやっているのをご存じだろうか。
私は是非、田村師匠、アクティさんの宝石の世界観を伺ってみたいと思っている。

私がお願いしたのは翡翠とオニキス。

桃の形の翡翠は父が買い求めてきたものだと思う。
帯留めにしていた母に「いいね」と言ったら、次に会った時にはペンダントヘッドに変わっていた。
母からもらってからまだ一度も首からぶら下げたことはない。
そして形見となった。

オニキスは合気道の師範の墓参りに行った帰りに日本橋丸善で目に付き買った万年筆。
クリップのオニキスが目を惹いた。
ペン先が収納式で使いにくいが、どちらにもそれなりの思い出がある。

たくさんの宝石とともに生きて来たアクティさんと田村師匠、お二人とも私の頭の中では、パイレーツオブカリビアンのジャック・スパロウに匹敵する。

そんなお二人の記事を読めるのを今から楽しみにしているのである。


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