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玉子とじうどんの昼下がり

昼寝から目が覚めて、用を足しに近鉄八尾駅近くまでやって来た。
そこでハタと、腹が減ったと気がついた。
そんなに重いものは食べたくない。マクドやミスドはあまり好きじゃない。
たこ焼き屋に行けばこの時間からビールを飲んでしまう。

そこで行き着くのはいつもの高架下の椅子のある立ち食いうどん屋である。
いい具合に空いている。風通しの良い厨房ではおばちゃん達が楽しそうに世間話の花を咲かせる。
桜は散ったが、おばちゃん達の話はこの時間いつも満開である。
パート終了時間が間近なんだろう。帰れば子や旦那の飯の仕度が待ち、明日へ続くモロモロの現実に戻る前の息抜きタイムなのであろう。

そんなおばちゃん達の話を耳にしながら自販機でうどんを選ぶ。数時間で晩飯の時間が来る、胃袋に優しい玉子とじうどんにした。

350円のこの玉子とじうどんにコスパの高さを感じる。ファストフード店で感じることは決して無い。
一たび夜の町に繰り出せば数万円も一晩で使ってしまう事も厭わないのに、この貧乏くささには自分でもあきれる。
どこで、誰と金を使うのかが私の価値観なのである。
一人で満足感を得るにはこんなのが一番いいのである。

いろいろ料理をして来たが、玉子を上手にとじれない、毎日やればうまくなるような気がするが毎日食べるもんじゃないだろう。
うどん屋の玉子とじにはいつも感心してしまう。

郷里豊橋にはうどん屋が多かった。『玉こし』『玉川』『勢川』など似たような店の名前が多いのはのれん分けなのかなあと、子どもの頃、考えていた。
お客さんが来た昼時の出前に、母からうどん屋のメニューが出されるのが嬉しかった。
いつも遠慮して一番安い煮かけうどんの横に位置するこの『玉子とじうどん』を頼んだ。一応家の財政を気にしていた。兄はお構いなし、煮かけうどんから一番離れた場所の『カツ丼』を頼んでいた。
数粒のきれいなグリンピースの載ったヤツ、その上には陶器の蓋があり、タクアンが二切れついていた。
財務大臣でない私も兄と同じように我が家の補正予算に便乗すればよかったのだがそれが出来ない子どもであった。

今ある、私のカツ丼への執着はこの頃根付いたものかもしれない。

このいい意味『テキトー』な玉子とじうどんを私は愛する。
でも本当に愛するのはカレーうどんなのである。

玉子とじうどんよ、二枚舌を使う私を許せ。お前の存在無くしては、比較のしようが無いんだよ。
そして必ず私は戻ってくるからね、決してお前を忘れはしないからね。

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