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秋の味覚の記憶

ブドウで思い出すのはやはり母の故郷。
山形県南陽市赤湯である。

幼かった頃の記憶である。
東海道新幹線の開通が1964年だから私はまだ幼稚園に通っていた頃だと思う。
当時住んでいたのは愛知県豊川市だったから今は在来線である東海道線に揺られ東京まで行き、上野で乗り換えての長旅だった。
途中下車して、品川戸越に住んでいた母の姉夫婦のお宅に立ち寄ったのかも知れないが、激しい車酔いをする私には苦行の長旅だった。

その苦行を終えて降り立った赤湯の街は私に車酔いを忘れさせるほど新鮮な、それまで私が知らなかった温泉街の雰囲気があったように記憶する。
そんな温泉街を抜けたあたりに母の実家はある。
専業農家の母の実家は2DKのアパートしか知らない私には古く大きく怖い、でも温かな家だった。

その母の実家の裏山にブドウ畑はあった。
子どもの頃の記憶である、歩いていくブドウ畑はずいぶん遠いように感じたのだ。
今、地図を見ればそんなことはない。
でも、途中には寺もあれば墓もあり、立派な神社もある山道だった。
うっそうと生えた樹々のトンネルを抜けるとその先にブドウ畑はあった。

そこまでの道中、母が喜々として歩いていたように記憶する。
晩年、アルツハイマーに侵され愛知の実家にいた頃の疲れ切った小さくなってしまった母ではなく、元気が満ちた若い笑顔の母を記憶する。
たくさん母は思い出を話してくれたのだろうが、何も憶えてはいない。
初めて見る景色と初めて見る膨大な量の緑に私は圧倒されていたのだと思う。

ただ、そんな中で母が「たくさん果物があるが、デラが一番好きだ」と言っていたのを記憶する。
でも母がデラウェアを口にしていたところを見た記憶があまりない。
今思えば私と兄に少しでもたくさん食べさせようと思っていたのではないだろうか。

私が好きなのもデラである。こんな立派なシャインマスカットではなく、デラウェアである。
私の記憶では緑のブドウ棚にたわわにぶら下がるデラウェアたちは間接的に浴びた陽の力で温かさばかりか活力まで感じさせてくれたのである。

毎年赤湯から届くデラウェアは母が丁寧に水洗いし、冷蔵庫に収まり、口にするのはいつも冷たく冷えた食後のデザートであり、おやつだったのである。

ブドウ棚からおじさんが摘み取ってくれたデラは、思えば生まれて初めて口にした自然の恵み、本当の果物だったのかも知れない。
母は意識して、そんな情操教育のために私と兄を赤湯に連れて行ったのではないと思う。
しかし、いまだに忘れることの出来ない赤湯のブドウ畑までの道中と温かいデラウェアなのである。

赤湯から届いた秋の味覚を口にして思い出したのは盛夏のデラウェアと母であった。

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