見出し画像

休日のしごと

桜の花は散り、若い緑が目立ち出した。
見る者のいない葉桜をながめながら駅に向かった。

時々ふとした事で以前の事を思い出す。
ちょうどこんな時期だったのである。
ゼネコンに入社し、事務として京都営業所に在籍していた時である。
日曜日に事務所で一人仕事をしていると、現場の所長や主任たちが事務所にやって来て事務仕事を始めることが、よくあった。
複数人が集まり、話をして昼メシを食べて午後には帰っていった。
休みに出て来るのが不思議だった。
私は当時営業所の上で独身生活しており、自分の能力を超えた作業量を抱えさせられていたので仕方なく事務所へ降りていた。

ある日その疑問を営業所長に投げかけてみた。
すると、『みな不安なんだろう。』という答えが返ってきた。
考えてみれば当時の現場の責任者たちは皆若かった。
三十代や四十代そこそこで数億、数十億の原価を会社から任されていた。
その時になるほどと、腑に落ちたのだが、今の方がなお理解出来る。
今であれば、SNSで情報交換したり、ネットで初めてのことでもある程度想像することも出来る。

こんな時代が良いのか、悪いのか。
便利ではあるが、希薄でもある。
35年も前の京都営業所には社会人二年目の私のそれまでの社会人としての思い描いていた世界とは違ったものであった。
スマートでカッコよい、そんな人たちがビルを建て、トンネルを造っていると思っていた。

家族とともに時間を過ごすべき日曜日に会社にいる。
しかし、それも突き詰めれば家族の安泰につながる。
だから、実はカッコ悪くてもそれはカッコいいんだと思った。

懐かしい若い頃の思い出である。

第三回目の緊急事態宣言により初めての事が生じるだろう。
解決のために誰も答えを出してくれない。
Googleも教えてくれない事がたくさんあるだろう。
不平不満はあるだろうが、いいチャンスだと考えるべきである。
皆が減らさなければならない『会う』機会、『相談する』機会の喪失と考えずに、まずは、一人グルグル頭を回すべきである。
考えないことに慣れきった頭を鍛え直すいい機会である。

先人の書に当たり考え、先輩の言葉を再び頭にして自身で考える力を蘇らせる最高の機会とするべきだと私は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?