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55歳のおばあちゃんが73歳になって1歳の僕が19歳になって。#成人を迎える前に

時間の流れはとても早いと言う。

私が生まれてからあと一年弱で20年になる。

小さい頃私の家には日本の歴史の1巻と2巻だけ置いてあって、その漫画を腐るほどみていた。

内容は覚えていない、漫画という娯楽がそれらしかなかったから読んでいた。渋々ということはなくいつも楽しんで読んでいた。

人の昔話をよく聞いていた。特に興味があったわけではない。

ただ人の話を聞かないとその人が悲しむだろうから聞いていた。今思えばそれが興味というものかもしれない。

この20年でいろんなことがあった。最初の頃は覚えていない。

ニュースも見なかったし、小さい頃は特に動ける範囲も狭かったし私の世界はとても狭かった。

小さい頃病気しがちだったので家に帰るという行為は友達の家に行くようなものであった。ほとんどを病院で過ごしていたので退院してから待っていたのは全く違う環境だった。私はすぐ調子に乗理、何かをやらかす。あと好奇心旺盛で右に行くと言われたら左にも行きたくなって迷子になったことが多々ある。親のいない世界がとても怖く自分の知る範囲にいないとなると急に心配になるというような子であった。(伝聞含む)

小さい頃から仲が悪いというのは嫌だったのでどんな子でも仲良くなろうとしてきた。同時に自分の言いたいことを言ってしまう子であったので、いろんな失礼なことを喋りよく人に嫌われた。

誰かが賞を取ると自分のことのように嬉しいし、誰かに負けると嫌な気分になる。そんな自分が嫌であった。平等と多様性とアイデンティティに悩む人生だった。世界はそんなに綺麗に動かないと知った日から自分は行動を起こし周りに広げよう。それが今やるべきことでできる最大のことだと信じ止まなかった。行動はおおむね挫折した。自分という存在が矛盾してしまう。それが嫌であった私は自分という存在を自分の世界から消そうと思った。

それから納得できないことを納得させる戦いが始まった。特に困難を極めたのが、言い訳という表現である。よく言い訳をするなと言われるが私としては事情説明のつもりであったから母のことを不平等な裁判官だなと思っていた。この頃から法律への興味を持っていたように思う。兄は自分で辞書を調べて納得し言い訳をしなくなったという。私はそれがあったかと、辞書を調べたが、なぜ意味を見て兄が理解できたのかが理解できなかった。兄への尊敬の念もここが出発点のような気がする。

私の家は六人家族で上に2つ離れて兄、下に2つ離れて妹、下に8つ離れて弟がいてあと父母である。最初のうちは三人兄弟でよく喧嘩をしまけていたような気がする。しかし無益であると思ってからは私は争わず、ものを譲るようになった。妹は今ではお淑やかだが昔は勇ましかった。私の方が女々しかったのがあり、よくお天道様が間違えたんじゃないかと言われてきた。

妹は現在高校2年生で受験勉強に励んでいる。私はよく変なことを言うので引かれていないか不安である。妹は理系であり、私は文系である。兄も理系だ。兄は医学部で、妹もは医学部を目指している。それに対して私は文学部の哲学という異端である。私の家はやんわりとした理系志向で、というのも兄が実験やメカニックに興味を持っていたので僕もそれについて行った形である。それため文理選択で理系に行きたいと言う気持ちが兄によるものなのか自分のものなのかに悩み文系に進んだ。私が未だにやり抜いたことはない。受験勉強になると誰でもやらなければと頑張る、やらなかったら後悔するからと言っていたが、私は一年楽しんで終わってしまった。もっと勉強しておきたかったのにと今思う。こちらは当たっているようだ。

だからといってやり直したいとかは思わない。やり直すと言うよりも別の人生を歩んでみたい。昔から考えていることだ。小学氏の頃に男尊女卑が問題になって女性として生まれてみたかったと思って以来そう思っている。男性の外で働く努力も、家で女性が働く努力も比べるまでもなくどちらも大変だ。それを認められずにいると言うのは相手の対馬に立てないからだと思った。仕事を入れ替えたらいいのか、いやそれでもダメだ。根本、生まれた性が違って初めて理解ができるだろうと考えてやるせなくなった。2人の私が男女別で生まれて最後に統合されたらどんなにいいことか。そんなことを延々と考えるような子であった。

おばあちゃんが昔話をするのを聞くのが好きだった。今では好きと言う次元では語れないものだ。(まだ、整理がついてないともいえる) おばあちゃんは、よく僕が生まれる前のことや日本の歴史について言い聞かせてくれた。兄や妹が興味なさそうにしていたので僕が聞かなきゃと思いずっと聞いていた。俗に言うおばあちゃん子である。おばあちゃんは昔の街並みや失われてしまったもの、新しくできたものについて教えてくれた。おかげで小中高、歴史は得意であった。おばあちゃんのことが好きすぎておばあちゃんの時代に行ってみたいと思うようになり、いろいろ考えたが、同年代のおばあちゃんにあってもそれはおばあちゃんじゃないなと思い馬鹿らしくなった。

おばあちゃんはいずれ先に死ぬだろう。父母もいずれ先に死ぬだろう。そう言われて育った。当然だ、父にも父母がいてさらに父母がいてその先に大勢の祖先がいる。多くは皆死んでる。しかし受け入れることができなかった。でもその頃はまだ人口が増えていたから、不老不死になったら人口は減少し続け世界は滅ぶなと思いやはり人は死ぬべき運命にあると考えていた。

私が見た最も若いおばちゃんは55歳で私はその時1歳であった。直接見たわけではない。映像で見た。66歳になった時おばあちゃんと比べてみた時あまり変わっているように見えなくて喜びと未来への不安を感じた。その頃はよくおばあちゃんに飛びついていた気がする。今おばあちゃんは73で、次の4月8日を越えると74になる。あまりに時間が経ってしまった。今思い返せば、おじいちゃんおばあちゃん父母に育ててもらった恩を返すために成果を上げようとして今まで生き急いでいたのだなということに気づいた。長らく忘れていた。

来年の11月5日がくれば私は二十歳だ。お酒も飲めるし賭け事もできる。選挙権は早めに手にしたが。人生100年時代ならばあと人生は×5だ。やりたいことを考えると、その五倍は欲しいと感じてしまう。非常に厄介なものである。

私はこのまま生きて誰かと結婚して、もしくは結婚せずに、次の世代を眺めておじいちゃんになるのだろう。何もできやしないという安定を求める声と何かしなければという焦燥感が今私の中にあって心苦しい。

私は次の世代に何を残せるのだろうか。もうすでに大人になろうとしている私は私がもらったように返せるのだろうか。世界にはさまざまな意見が飛びかい辟易してしまう。昔よりも安全に健康に生活できるようになったが、その分多くの意見に接することになった。どうにもならないような気はするが、どこかに光があるのではないかと期待してしまう。

最近は食欲も無くなってきた。あるのは単純な感情と未来に何を残そうかというものであろう。先祖からもらったものは先祖に返せなさそうだ。先祖からもらったものは、次の世代にあげようと思う。まだ何も形になっていないが。先祖だけではなく多くの人に助けられた。その多くの人たちは私より先に死ぬのだろう。もう今死んでいるのかもしれない。時間は最も人を殺している。

子供の頃嫌だったこと納得できないこと、不思議なことはだいぶん馴染んできた。昔よりも世界は広がり視野も広くなった。思った以上に人生はうまくいくものなんだなと思った。今のところ私が思った以上に悪いことは起こっていない。

人は善意かなんかで何かをくれて

でもそれは思いがけないもので、私の調和を壊してしまい

壊れてしまった調和を壊しに壊し新しい調和を生み出していく。

そうして生まれた副産物を誰かにあげる

それの繰り返しが人生で大きく言えば文化で歴史なのかもしれないなと思った。

少なくとも今私の心は穏やかである。



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