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【映画】『プリデスティネーション』でみるタイムパラドックス【感想】

Youtubeを見ているとこんなチャンネルで本作に出会った。どうやらプレシディオという映画配給会社の公式チャンネルらしい。期間限定で無料になっているので気になる方はぜひ。ちなみにアマプラにもあります。


https://presidio.jp/movies/predestination/
公式サイトより引用

ジャンルとしてはタイムループものだろうか、少し特殊なのは何度も何度もタイムループを繰り返すという作品性ではなく、登場人物の奇妙な人生についての回想が主体というところだ。

だがそのドラマ性がタイムループものとしても良くできた仕掛けに繋がってて唸らされた。


ネタバレあらすじ

登場人物

  • ジョン‥‥バーに訪れた若い男性。「未婚の母」というP.N.でライターをしている。

  • バーテンダー‥‥時空警察のエージェント。バーテンダーとし潜入しジョンの話を聞く。

  • ジェーン‥‥孤児院に捨てられていた女の子。

  • 爆弾魔‥‥NYにて1970年代に一万人にも及ぶ大量殺戮を為した爆弾魔、時空警察に追われ続けるも一向に捕まえられない。

1970年、世間はとある爆弾魔のことでもちきりだった。とある男性‥ジョンは場末のバーに入るとそこのバーテンダーに話を振られる。ジョンは自分が女性向け雑誌のライターであることを明かしなんで男の自分が女心をわかっているような文章を書けるのかについて思い出話を始める。

1945年、とある女の子の赤ん坊‥ジェーンは孤児院の前に捨てられているところを発見された。ジェーンは頭が良かったが人付き合いが苦手で施設の子供達とはいつも喧嘩をしていた。

1963年4月、ジェーンは大人になり、憧れでもあった宇宙飛行士になるためにスペースコープ社を訪れる。成績優秀で合格間違いなしという中で訓練生の一人と喧嘩をしてしまい失格になる。再受験を目指す傍ら、気の合う若い男性と出会い生まれて初めての恋に落ちる。

1963年6月、ジェーンはその男性と付き合うも、男性が突如失踪。さらにお腹に子を宿していたことが発覚する。身重では宇宙飛行士になることができず夢を諦めなければならなくなる。翌年、女児を帝王切開で出産。しかし、程なくして我が子を何者かに連れ去られる。ジェーンはあの男の仕業だと考え恨身を深くする。さらに主治医よりジェーンは半陰陽であり、出産の際の困難から子宮を摘出し性転換手術をしたことを告げられる。

長い入院生活の中、数度に渡る性転換のための手術によりジェーンは声も体つきも男性になっていく。ジェーンは男性として生きるためにジョンと名乗り、生計のために女性向け雑誌のライターをしていた。物語はバーに戻り、これが自分が女心がわかる理由だと話すジョン。さらに今日、自分の男性器に生殖機能がつき完全に男になったことも告白する。

バーテンダーは、そこまで聞きジョンに今でもその男を恨んでいるか?殺したいなら手助けすると持ちかけバーの地下へ連れて行く。そして実は自分がかつてジェーンが受けたスペースコープのエージェントであることを明かす。さらにスペースコープは表向きは宇宙開発をしていることになっているが、真の目的は時空を行き来して犯罪を未然に防ぐ時空警察であるという衝撃的な話をし始める。バーテンダーは自分の役割を引き継ぐかわりに1963年に戻ることを許可し、1963年にジョンとともにタイムスリップした。ジョンはジェーンがあの男と会う前に殺すつもりで出会いの場所へ行く。

いつまで経っても男は来ない、そんな最中とある女性に出会うジョン。それは昔の自分‥ジェーンだった。ジョンは自分が殺したいほど恨んでいた男その人であることにショックを受けるとともにジェーンの魅力に惹かれてしまう。2ヶ月後、バーテンダーがジョンを迎えに来る。ジョンを時空警察にするためだった。そしてジョンは悟ってしまう、バーテンダーが未来の自分であることを。

バーテンダーはその後、ジョンを未来に送ると1964年に飛ぶ。そしてジェーンの子供を拐い、1945年の過去の孤児院に置き去りにした。そうジェーンの子供こそジェーンそのものだったのだ。バーテンダーは全ての役目を若い頃の自分=ジョンに託して引退する。爆弾魔の爆破を阻止するために今まで時空警察として努めてきたが一度も捕まえることができず、引退後はわざと爆破されることが決まっている時代に飛び生涯を終えようとするバーテンダー。

しかし、バーテンダーは過去にタイムスリップ中の爆弾魔との接触で得た爆弾のパーツからこの時代に爆弾魔がいるであろう場所を突き止めてしまう。その場所には爆弾魔となった老いた自分自身がいた。タイムスリップの乱用により思考力や認知能力が衰えた未来の自分は自分の爆弾によって実は別の犯罪や事故が起きるのを阻止したのだと語りだす。バーテンダーはそんな未来の自分に銃を向け引き金を引いた。



感想

映画としては実に奇妙な時間と性別に関する物語を扱えておりあらすじで書ききれなかった細かな伏線回収も見事だった。登場人物の中で主要人物が全員同一人物というのは他では見ない斬新なシステムだ。

惜しむらくは作中でジョンも察しているようにジェーン=ジョン=バーテンダーの構図はかなり早い段階でわかってしまうことだ。それもそのはず、『プリデスティネーション』の原作はSF作家ロバート・A・ハインラインの『輪廻の蛇』を原作としている。そしてこの『輪廻の蛇』は短編小説なのだ。短編として完成度の高い本作だが映画化にあたり少々種明かしまでが長くなってしまった印象はある。また、爆弾魔までジョン自身であることは驚いたが、爆弾魔になって行く過程がすこし急ぎ足すぎたかもしれない。

ただ、小説の方には爆弾魔自体が存在しないが、最後に爆弾魔である自分自身をジョンが殺すことで、殺したいほど憎んでいたあの男=ジョン自身を殺すことができたという物語としてきれいに収まっている点は良く、映画としての完成度はやはり高い。

これはタイムトラベルの不思議について取り扱う作品であるため、SFチックなものはあまり登場しない。タイムマシンだってただのバイオリンケースにダイヤルがついているだけという簡素なもので、SFチックなデバイスは登場しないのでSF映画として見ると肩透かしを食らう人もいるかも知れない。だが、むしろこの映画の魅力は登場人物ジェーン=ジョンの奇妙な人生にある。特に後半まではジェーンの半生に引き込まれ、終盤ではバーテンダーの雁字搦めの運命に運命論的な苦悩を見ることができる。タイムトラベルを使うことで一人の人物の一生を別々に切り分けて、一本の映画に納めるのは新しい”ゆりかごから墓場まで”を描く構図だと感じた。

本作に現れる「タイムパラドックス」

『輪廻の蛇』は生殖能力に関するタイムパラドックスを提示した有名な作品だ。その内容は上で見た通り、もともと女性の人物が後に性転換をし男性になったあと過去の自分と交わり、自分を生むというパラドックスだ。性転換を経なくとも過去の自分を自分が産むといった状況が成立していればこの種のパラドックスとなる。

しかしこれは本当にパラドックスなのだろうか?多くの『プリデスティネーション』及び『輪廻の蛇』のレビューには秀逸なタイムパラドックスを扱った作品という紹介がされている。しかし、ある意味本作には疑問を差し挟む余地がないように見える。前半にあったジェーンに起こった謎の多くはジョンが過去に飛んだために起こったからだとわかるし、ジェーンが産んだのがジェーンであるというのはただ無限に繰り返しているというだけのことだ。

そもそもパラドックスとはどういうことか?

パラドックス

一見、不合理であったり矛盾したりしていながら、よく考えると一種真理であるという事柄。また、それを言い表わしている表現法。逆説
論理学で、ある命題と、それの否定命題が共に成り立つと結論され、その推論の中に誤りがあることを明確に指摘できない二命題。逆説。
常理に反する説で、その説に反する正当な論拠を見いだしがたいもの。逆説。 

コトバンク[パラドックス],精選版 日本国語大辞典精選版 参照

と辞書には書いてあるが、学術的なパラドックスの形で名前がついているものはそのほとんどが②の意味で用いられる。すなわち真とも偽とも言えないような命題があることを指す。

タイムパラドックスとは、基本的に時間を移動したために起こりうるパラドックスのことを指す。例えば有名な"親殺しのパラドックス"を見てみよう。

親殺しのパラドックス

私がタイムマシンに乗って自分が生まれる前の時代に行き、自分の両親を殺害する。すると、両親が殺された=私が生まれないことが確定する。しかし、私が生まれないならそもそも私は自分の両親を殺しに行けないはずである。自分の両親を殺せないなら私は生まれるはずだ。私が生まれたならば成長して両親を殺しに行くだろう‥‥このように「親殺しのパラドックス」では「両親を殺せる」とも「両親を殺せない」とも言えない矛盾が生まれてしまう。

親殺しのパラドックスを回避するには、「タイムトラベルはそもそもできない」、「過去は変えられない」、「平行世界に移動する」などがある。いずれにせよこの矛盾をそもそも成立させないようにすることが狙いである。

プリデスティネーションの「パラドックス」

自分が自分を産むという現象はどうだろう?そのまま額面通りみるとそんなことは起き得ないで終わりだ。しかし『プリデスティネーション』でみたようにジェーンが産んだ子供が更に過去に連れ去られ再びジェーンに成長するような状況では別だろう。

ところでこれはパラドックスと言えるのだろうか。たしかに自分が自分を産むという奇妙な物語がタイムトラベルによって生まれたのは確かだろう。しかし、タイムトラベルさえすればこれは解決する問題でもある。現に「親殺しのパラドックス」でみたような明確な矛盾のようなものはないのだ。このループ構造が奇妙なのは「最初に孤児院に捨てられたジェーン」が存在しないことにある。ジェーンがジェーンを産むなら最初に生まれたジェーンという存在はどこにも存在しない。つまりここで現れるパラドックスは必ず原因と結果が存在するという因果律が成り立たないというパラドックスなのだ。強いて言えばこれはパラドックスというより因果の無限循環*⁴であり、すなわち因果のループであるが、一般にはこのような無限循環もパラドックスと呼ばれたりする。

ジェーンはジョンになりバーテンダーになり、最後は爆弾魔になった。そしてバーテンダーは爆弾魔を殺害した。これは「自分殺し」であると同時に「親殺し」でもある。タイムパラドックスを扱ったタイムトラベルSF作品は多くあるが、片方でループ構造を描きながらSFで描かれがちな「自分殺し」と「親殺し」をパラドックスなしにプロットに組み込んでいるのは面白い部分だ。



脚注

*1;そもそも『輪廻の蛇』とはウロボロスの蛇のことで無限に繰り返すことの代名詞でもある。

*2;現実問題自分どうしの遺伝子から生まれた子供が自分と全く同じクローンになるかどうかは分からない。タイムパラドックスは思考実験なので生物学的な疑問は二の次になるだろう。しかし、仮に自分から生まれる存在がクローンと呼べるほど(遺伝子的に)似ていなくとも、つまりそれが他人であってもこのループ自体は成立する。ジェーンが産んだ子供をジェーン’とする。ジェーン’の産んだ子供はジェーン’’であるという風に続く。ジェーン→ジェーン’→ジェーン’’→‥‥このようにするとジェーンとジェーン’は別人であってもジェーンと同じ境遇で育つことでジェーンに最も類似した存在ではある。問題としてはこのままでは大量のジェーンの類似物が存在してしまうことだ。このような世界では時間は一本だけの線ではなく平行世界につながるような無数の線で構成されている必要があるだろう。ジェーンとジェーン’が存在する世界が違うということだ。

*3;この種のタイムパラドックスは平行世界に移動するような場合でも起こるため解決されない。たとえば、ある世界@にジェーンがいたとする。@でジェーンが産んだ子供をジェーン’とし、ジェーン’は世界@とは異なる世界w₁に連れ去られたとする。w₁で成長したジェーン’はジェーン’’を産む。ジェーン’’は世界w₂へ‥‥という風に無限に続けていくことはできるが、最初の世界@のジェーンはそもそもどこから来たのか?という問題になる。世界が1つしかない場合と同様、最初のジェーンが存在しないままなのだ。

*4;無限に循環するのもパラドックスと呼ばれることがある。しかし、それは真でも偽でもない命題であるため、真と仮定すると偽に偽と仮定すると真になるという論理的な循環のことを指している。したがって本来ただ無限循環しているものをパラドックスとは言わない。たとえば無限循環小数は存在するが誰もパラドックスだとは言わないだろう。しかし、哲学の世界ではときに無限循環や無限後退する解決をパラドックスとし嫌う傾向がある。

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