お金に生かされているけど嫌いでもある

お金はコミュニケーション障害が生存可能になるツールだ。
私は醜い存在だけど、お金だけは醜くない。
私がどんなに醜い人間であり誰からも生存を望まれていなくても、お金によって生存が可能になる。
私が今ここにいるのは金を使っているからで、それが無ければ生存することが出来ない。
でも私はそんなお金が嫌いだ。

世界には人がいて、それぞれが自分の世界を持っている。
それは似ているけれど同じではないから、何かに対する価値観もまた、人それぞれだ。
だけどお金というのは全人類にとって一定のもので、持っていれば買えるし、持っていなければ買えない。
もちろん所持量の多寡や境遇により、同じお金でも相対的価値は変わってくるんだけど、絶対的価値は変わらないのがお金というものだ。
どんな人でもコンビニで水を買うときに買う値段は同じだということ。

世界には絶対は無いはずなのに、お金には絶対的な価値がある。
というより、そうでないとお金ではない。
歴史を紐解く必要すらなく、お金とは絶対的だからこそお金なのは、自明の理だろう。

絶対的だからこそ、人間は全員何かの手段で金を得なければならない。
人間は労働に縛られているとまで言うつもりはないけど、お金には縛られている。
そこまでは社会そのものの構造であるから、そこに文句はあっても、嫌いになる程ではない。


私が嫌いなのは、人間が相対的な生き物であるのに絶対的なお金に縛られているが故に、お金による争いが起きることだ。
端的に換言すると、金のせいで争いが起きるのが許せない。

金で揉めるのは、金が人間全てにとって価値があるものだからだ。
人によって価値観が違うのが人間のいいところなのに、それを潰している。

せめて自分だけでも金で争いたくないから、だからこそ自分の出来る範囲、納得出来る範囲において、お金を使うようにしようと思っている。
お金で争うのは嫌だからこそ、好きなものにはちゃんと金を払うようにする。
私が払って争いが止むのなら、いくらでも払う。

こんな大仰なこと言わないで金を払えって話ではあるんだけど、私はお金を使うのが劇的に下手だから、理由をつけないと何も買えない。
ケチなんじゃなくて、使い方が分からない。
何が買えるのかも正直未だに分かっていないけど、好きではないものを買わないまま過ごしている。

そしてもう一つ大事なのは、金を欲しがらないことだ。
全員にとって価値があるものを欲しがらないというのは、人生をオリていることに等しいと思っている。
だけど、争うよりも、オリた方が平穏に過ごせると思うんだよな。

こんな長々と書いたけど、うまくまとまらなかった。
でも冒頭にも書いた通り、私はお金を使って生きているから、嫌いなものに頼って生きている、滑稽な存在ということになる。
何なら、口座からお金が無くなったら自分が何するか分からない。自分でも怖いよ。
本当のところ、お金が本当に嫌いなのかすら分からない。

まさか、お金に対してコミュニケーション障害を起こしているっててこと?
社会=お金だとすれば、私は社会との折り合いすらつけることが出来ていないのだろうか?未だに?
確かにその節あるな。

何にしても、そのうち和解したいとは思っています。

ここで一曲。

andymori - MONEY MONEY MONEY

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