単なる逆張りを回避する為に努力する

世間の風潮とは反対の主張に対して、したり顔で頷くような人間にはなりたくなかった。
そういう人間を俗に「逆張り」なんて言う。
今回はそういう単なる逆張りにならないように私が努力している話をしようと思う。
逆張りに賛同していたとしても、逆張りにはならないように立ち回る為の方法論ということになる。

まず先に、逆張りにならないように努力するという概念の話。
逆張りにならないように努力するというのはとても重要なことだ。
逆張りは様々な人を傷つける為に大変簡単な手法であり、そういう目的で使用されることは多い。
そして他人を傷つけるというのはとてつもない快楽であり、逆張りとは思想における無差別的に他人を傷つけることが出来るから、とてつもない快楽となる。
そんな快楽を味わう為に自分の脳みそを使ってはいけない。
自分の主張は人を傷つける目的ではないんだよということをちゃんと注釈をつけておく必要がある。
この注釈は、他人に向けてではなくて自分に向けてのものだ。

何より、今の時代、他人を傷つけるということは即キャンセルに繋がるから、警戒しすぎて困ることはない。

まず絶対に守るべきなのは、自分の意見を絶対に主張しない。
意見というのは自分から発しなければ、人に気づかれない。
日本には思想の自由があるから、考えている分には全く問題はない。
これを発信するから逆張りになるのであって、何も言わなければ何も問題は発生しない。
人間として生きている以上難しいことかもしれないけれど、不可能ではないはずだ。
人間なんて飯食って水飲んで寝るだけで生存が可能な生物なのだから、それ以外の全ては些細なことだ。
Xやインスタなんてもっての他だ。
本当にどうでもいいことだけを話して、自分のことは煙すら悟らせないぐらいの慎重さは必要となる。

次に守るべきなのは、必要な逆張りに賛同する自分を否定することだ。
何かに賛同するというのは心地良いけれど、その賛同が他人を傷つける恐れがあるのならば、その賛同は否定されなければならない。
しかし、賛同を否定する人という人種は、それはそれで偏屈な人間でしかないから他人に任せるということはとても難しいだろうし、自分の思うがままになるとは限らない。
そこで、自分を俯瞰で見て否定する。これによって、逆張りのバランスを取ることが出来る。
何か逆張りの根拠があるのならば、それと反対の意見も用意して、自分の中でぶつけておく。
逆張りが絶対に正しいという訳ではなくなるから、少なくとも自分の中では逆張りと処理されなくなる。

これで外にも内にも逆張りと処理されなくなったから、晴れて自分の思考のみを逆張りに分離させることが成功したことになる。
ようやく、何を考えても自由という訳だ。
これで新自由主義がどうだとか、最近のSNSとかをようやく考える権利が出来たことになる。

こういうことが面倒だから、クローズドな空間で喚き散らすのが効率的という時代なんだろうな。
クローズドなコミュニティーは発展性がなくて嫌だから、私は沈黙と自己否定で乗り切ろうかなと思っています。


FAKE TYPE. - マンネリウィークエンド feat.花譜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?