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#きらきらひかる の魅力のひとつは天野ひかると杉祐里子の関係性だ

前の記事で、きらきらひかるの魅力を4つに分けて整理した。その中で、「引き込まれる関係性」として、天野ひかると杉祐里子の関係性を例に挙げた。
自身が杉の年齢を超え、ようやくこの二人の何が魅力的なのか、その一端が分かったような気がした。備忘録として書き残しておきたい。

まず、そもそもきらきらひかるにおいては、天野ひかると杉祐里子を正反対の存在として描いているのだが、おそらくこの二人はアプローチが異なるだけで、本質的にはかなり近い存在なのである。
主観的で、死者への思い入れがたっぷりで、いつも「こうあったらいいな」という理想を前提に死体と向き合う天野。
一方で、主観をそぎ落とし、死体から分かる所見を積み上げていくことを大事にしている杉。
二人が反発し合うのは、考え方が異なるからのように見える。しかし、今回久しぶりに見返した中で、考え方が近いからこそ、この二人はぶつかり合うのではないかというのが直感的な印象だった。

最初に感じたのは第3話を見た時である。
第3話では、杉が大学まで通う道の途中に暮らしていたホームレスが、ある日川に溺れて亡くなる。杉はホームレスの生前を知っており、ホームレスの彼女が近所の子どもたちと楽しそうにじゃれ合う姿を見ていた。亡くなった時に、彼女と子どもが寄り添うようにしていたことから、子どもの親は「ホームレスに殺されたのではないか」と疑う。

杉は、口ではおかしいという天野を否定するが、天野の検案を邪魔することはない。
おそらく、杉も心のどこかでは、ホームレスの彼女が子どもを殺したなどとは到底思っていないのである。ただし、彼女は死体と向き合うにあたり、主観や思い入れを排することを信条としているので、その想いを口にすることはない。
しかし、どこかで「ホームレスは悪くない」と信じているからこそ、現場や目撃証言を調べ直そうとする天野に付き合うのではないか。だからこそ、天野の考えがどこか理解できるのではないか。そう感じた。

この二人の関係をそのように捉え直すと、天野と杉は共通点が多い。
例えば、天野は杉と出会い、監察医の職業を選んだが、当初は脳外科に進もうとしていた。
また、杉は阪神大震災で亡くなった妹の最後の真実を見つけるため、法医学に転向してきたが、もとは外科医である。
彼女たちは、最初から法医学を選択したのではなく、かつては生きている患者を治す医者を志していた人たちなのである。

また、きらきらひかるは連続ドラマの放送後に、スペシャルドラマが2本制作されたが、それらにおいても杉祐里子の過去が描かれる。
(基本的に、きらきらひかるのストーリーは、杉祐里子が求める真実を天野ひかるが事実を超え見つける物語である)

きらきらひかる3では、杉に法医学をいちから教えた師匠として、法医学教室教授の藤村正美が登場する。
 
杉と藤村の回想シーンでは、杉は藤村に「どうしても妹がなぜ阪神大震災で亡くなったのか、その真実を知りたい」と懇願する。「外科の患者はどうする」「今までの研究は」「それが分かったら、外科に戻るのだろう」と詰められるも、杉は「法医学を全うする」と強い決意を示す。

このシーンを見ても、杉にはもともととても強い「思い入れ」があることを感じる。
ただ、彼女は自分の思い込みで妹を死なせてしまったと長く罪の意識を感じてきたこともあり、自らの主観や想いを肯定することができない。だからこそそれらをそぎ落とした先に「真実」があるのだと信じるのだ。
そうした杉祐里子はとても哀しい。

天野と杉はどちらも勉強し、医者を目指し、人を救いたいと外科を選んだ優等生。
だからこそ、監察医・法医学者として患者と向き合っても、やはりどこかで「救いたい」という気持ちが動く。
でも、杉は妹冴子との関係性があったからこそ、天野のように自らの思いを信じ突き進むことができない。
尊敬する法医学者・藤村に言われた「君は間違っている」という言葉がそれに拍車をかけたのかもしれない。
死体から分かる所見で判断しなければならないという向き合い方が、杉を若くして法医学のスペシャリストにしたものの、一方で、だからこそ彼女は彼女の知りたい真実に辿り着けなくなってしまったのだと思う。

私は、この天野と杉の二人が向き合う「真実」こそが、このドラマの一番根幹だと思う。

解剖所見から分かるのは、あくまで「事実」である。
死体がどのような状態に置かれ、それが物質としての人体にどのような影響を与えたのか。そうした科学的な知見を見つけ出すことはできる。

しかし、「事実」はあくまで「点」である。
「点」が生まれた背景、例えばその人の気持ちや思い、理由というものは、物質としての人体からは再現することができない。
つまり、「点」と「点」をつなぐ「線」、その人の「物語」は分からないのである。
その人が生きて行動していたのだから、そこには絶対に思いや理由が存在したはずである。でも、死体からそれを見つけることはできない。
しかし、生き残った人が本当に知りたいのは、死んだ人がなぜそうした行動をとったのか、どういう気持ちでいたのか、そうした「線」である。死因ではない。なぜそうした死因となってしまったのか、その背景である。
そして、杉祐里子の求める「真実」とは、他ならぬ杉冴子の理由と気持ちである。杉冴子の直接の死因という事実ではないのだ。
しかし、だからこそ、杉祐里子はその「真実」を見つけることができない。
死者に対する思い入れ、寄り添う気持ちを全て排してしまうからである。

一方で、天野は死者に対する思い入れを持ち、寄り添う気持ちを当然に思い、大切にできる。
それは若さゆえなのかもしれない。でも、天野はそうした死者へ寄り添う気持ちを信じるからこそ、事実の壁を超え、時には想像力を駆使してでも、「点」と「点」をつなぐ「線」を結ぶことができるのである。
生きている人間が本当に知りたかった理由や気持ちを天野は信じ、語ることができる。
それが果たして、「唯一絶対の真実」かは分からない。田所が目指す「どこかにあるが辿り着けるとは限らない真実」ではないかもしれない。
でも、だからこそ、生き残った人間は救われるのだ。

杉祐里子は連続ドラマの最終話、ラストシーンで天野へ「私の目標は天野、あなたよ」と伝える。
人を愛し、救うために一生懸命。いくら「事実」を調べても辿り着かない「真実」を見つけるため、壁を軽やかに乗り越えられる。そして、生き残ったの力になることができる。
こうした天野に杉が「目標」と言ったのも、二人が正反対に見えて、実はとても似た存在だからではないかと思う。
杉がずっと求めてきたが手に入らなかったものを持っていたのが、他でもない天野なのである。

なお、杉や月山、黒川と出会い、天野は歳を重ねるにつれてどんどん垢ぬけていく。カジュアルだった装いが大人っぽくなっていく。それは、一緒に過ごす時間が長い周りの女性たちから影響を受けているように見えてリアルである。

一方で、杉は雰囲気が柔らかくなっていく。自らの研究室へ天野を当然のように受け入れ、装いは少しカジュアルになる。ファッションの移り変わも、まるでお互い影響し合っているようで、面白い。

きっと天野はあの日、杉に出会っていなかったら、一生知り合うことも、友達になることもなかっただろう。
そんな二人が、「監察医」「法医学者」という仕事を通じ心を通させていく姿は、このドラマの大きな魅力のひとつだと思う。

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