氣功ジジイ
鮭の切り身が目の前にあり、食べろと言われているのに頑なに食べず激怒される夢を見た。夢の中では鮭を食べられないことに対して本気で「どうしよう」と思っていたので、夢だとわかって安心した。
鮭のおかげで早起きできたので掃除を始めたら、掃除機が大破した。頭の部分だけぽっくりと外れ、吸った瞬間ゴミを撒き散らすただの長い機械になってしまった。
ちなみに1週間前から冷蔵庫も壊れている。
帰宅して冷凍庫を開けたら「チャポ……」と聞こえ、カチコチだったにんじんがシャバシャバになっていた。
次は何が壊れてしまうのだろうと思いながら検査のために病院に行った。
子宮内エコーを撮る検査だったので、アトラクションみたいな椅子に座らされ、されるがままだった。こっちの方が、鮭よりも夢を見てる不思議さがある。
今日はToDoのチェックボックスを埋めるだけの虚しい土曜になるだろうという覚悟があったのであまり軽くない足取りでスーパーに向かう。
いつもは何もない広場で、地方複合施設恒例行事の「陶器市」をやっていたので老老男女達に混ざって物色をしてみた。
もっちりつやつや餃子の箸置きを手に入れた。これはToDoリストになかったことなので嬉しい。
寄り道は1度したら2度も3度も変わらないので、スーパーをすっ飛ばして図書館に行った。
本を返すはずがさくらももこのエッセイを3冊借りていた。デジタルから離れたい、でも重い物語も気取った文章も読む気力はないという堕落した欲にぴったりだった。
さらにこれが3度目の寄り道になるが、併設のカフェで借りた本を読みまくることにした。これは気が急いてとかではなく、ただ単に持ち帰る時に重いのが嫌だったから。
本当に、精神のビタミンだなと読むたびに思う。
「氣功をしているジジイは邪気がないので赤ちゃんみたいな顔をしている」とかそういうことばかり書いてあって、とても元気が出る。
かと思うと、漫画家になるまでが書かれた章では太宰ばりの文のリズムと畳みかけで泣きかける。
アイスコーヒーを飲みながら読んでいた。アイスコーヒーって、「思ったより少ないな」となることがほぼない。いつでもどこでもちょっと多い。
母はコーヒーを飲む時に段階的にミルクとガムシロを足して飲む派だったので、ガムシロ入れ担当になったりミルク担当になったりするのが子どものころ楽しかった。各担当は適宜妹と分担していた。
半分飲み終えた時にミルクを入れると、ミルク担当をしたミスドのテーブル席の光景をいつも思い出す。幼い頃の視点で思い出すから、ちょっと景色が低い。なぜか、泣きかける。
陶器市にとどまらず、そのカフェも老老男女で賑わっており、隣の席では編み物の図案を真剣に吟味するおばあさまが2人いた。そのうちの1人は、自分の作品に緑色が少ないことを非常に残念がっていた。
本来スーパーに来たことをようやく思い出したので、1番安い砂糖と2倍入りの洗剤を買って重い重いと苦しみつつ帰宅した。
壊れた掃除機と再び対面して落ち込みつつ、奥付けまで快活なエッセイの残りをゆっくり読んだ。
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