女の子って歌詞が苦手だ。


女として生まれて20年、気づいた。

私は『女の子』って歌詞が苦手だ。

なんだか、女の子って歌う度に、妙な恥ずかしさといたたまれなさを感じてしまう。


女の子は誰でも魔法使いに向いてるんですって。とっても素敵な歌詞。

後半で出てくる、『女の子はお砂糖と薬味(スパイス)とで出来ている』っていう歌詞はもっと好きだな。そんな女の子でありたかった…。

この表現を見ると、高校時代に読み散らかしていた山田詠美の小説を思い出す。シュガー&スパイスという短編小説があるし、他にもお砂糖とスパイスを思うように使いこなす女性がたくさん出てくる話が多い。このフレーズの元ネタはマザーグースらしいけど…。

ここまで賛美しておいて悲しいのだが、私はやはりこの歌詞は歌えない。突然恥ずかしくなる。うわぁぁぁぁってなる。

曲はすごく好きだし、本当はカラオケでも歌いたい。布教したいから。

悪いのは林檎嬢じゃなくて私です。


これに関しては実際に歌った。

曲決めをしてから気づいたのだが、ロマンスには『女の子は欲しいものばかりだよ』や『女の子はいつだって無敵だよ』というフレーズがある。

歌詞全体を見ても可愛いと思う。女の子が一生懸命、好きな人にアピールする歌。まさにロマンスだ。

すごく可愛い歌で、明るくていいなぁと思ったのだが、それでも女の子という歌詞が出てくるともぞもぞしてしまう。

にしても、女の子はいつだって無敵だよって表現、考えれば考えるほど凄くいいな。ポジティブに生きているんだろうなって思う。

まぁ、この曲もすごく恥ずかしかった。うわぁぁぁぁってなりながら歌った。

悪いのは羊文学じゃなくて私です。


ここまで女の子という歌詞が駄目であることを延々と語ってきたが、実際のところ何故駄目なのだろうか。自分なりに推測をしてみようと思う。


①女の子という主語が苦手

『女の子って~、〇〇じゃないですか~?』っていう人が元来得意じゃない。女は、男は、って性別を主語に物を語る人。数十億人をまとめて定義しないで、と思ってしまう。

特に〇〇に思想や行動例が入ると聞くのがつらい。自分がそれに当てはまらなかったときに、遠回しに間違いを指摘された気分になってしまうことがあるから。


②女社会が得意じゃない

女社会って、四人以上いると何故か縦社会になるイメージがある。女社会には、ままごとのような役割分担があって、それから外れると痛い目をみる、みたいな。

私にはそれがとにかく合わない。マウント取られやすい体質、というか。今一緒にいる子達はみんなマウントをとらないので助かってます。

思い返せば幼稚園の頃から女の子のグループ内マウントが苦手だったなぁ。ここまで行くと苦笑いしか出てこない。


③女の子でいることが大変

化粧して、スカート履いて、ヒールを履いて、髪の毛巻いて、なんだか大変だなと思うことがある。ただ外見を飾るのはとても楽しい。魔法使いやら無敵やらになった気分になるのだ。

それよりも内面である。男性より一歩引いて、口調は丁寧に、笑顔を絶やさずに……?

そんなの無理なときだってある。ごくまれに、気疲れしてしまうときもある。


おそらく私の脳内にはこの三つの要素が渦巻いていて、私が女の子を名乗ってしまっていいのだろうか?と考えてしまうのだと思う。女の子という括りにいられるほど、私は女らしい人間ではないのではないか、と。

考えすぎだろうし、自分の性別に不満は何もないけれど、そう考えてしまう。

あとは、女の子らしくいれる人間が羨ましいんだろうな。そういう人はみんな可愛いし、人生を楽しんでいるように見える。素でそういられる女の子ほど、惹かれるものはない。

本当に女の子を楽しんでいる人って、マウントもとらないし、男女とか気にせずに生きているから、話していて楽しいよね。

…なんだか深夜テンションの産物みたいになってきた。恥ずかしくなったら消そう。

来世は女の子って歌詞を抵抗なく歌えるくらいの人間になりたいね!

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