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当たり前はきっとないのよね。

今日心が動いた文章がある。

Twitterでフォローしている、マツオカミキさんの一つのツイート。
引用していいか分からないから控えるけど、とてもとても、私の中に響いて残った。

私にとっての大切な人。それは家族だ。
もちろんこれから先、大切な人は増えるかもしれない。
けど今の私の大切な人は、私のお母さんとお父さん。
二人が一等、大切な人たち。

二人は私に、もっといろんなことをしてあげたいと言ってくれる。
それはきっと親から子への愛で、いわゆる親心というものなんだと思う。
ありがたくて、嬉しい気持ちになる。

けど、こんなことを言うと二人の想いを無下にするのかもしれないけど、私は多くを望まない。

二人が健康でいてくれる。
お父さんとお母さんが笑っている。
三人で出かけられる。
ご飯を一緒に食べられる。
「おはよう」「おやすみ」「行ってらっしゃい」「おかえり」「ただいま」そんな言葉を伝え合える。
お母さん、お父さんと呼べる。
呼べば返事をしてくれる。
私の名前を呼んでくれる。
温もりがあって、そこで息をして生きてくれてる。
抱きついたら、抱きしめ返してくれる。

私はそれだけで十分。
それだけ、って表現するのも違う気がするくらい、どれもこれもが私には尊いこと。
物を貰えるのは確かに嬉しい。
けど私が一等幸せに思うのは、二人がそばにいてくれること。それは私にとって、時々涙が浮かぶほどに嬉しいこと。

昔からそんな風にどこかで思う子どもだった。
自分でも理由は分からないけど、両親が傾けてくれる愛情が、私にしっかり届いていたからだと思う。
私はその温かくて優しい愛情を受けて育つことが出来たから、こんな風に思えるのだろう。
だから今の私がこんな風に思えるのは、両親のおかげだと思う。

けどより強く思うようになったのは、二年前の十二月にずっと一緒に暮らしていたおばあちゃんを亡くしてから。

死をすごく近くに感じて、死があまりにも呆気ないことを、私はあのときまざまざと知った。
お医者様から死を告げられてから最長で三日。たった三日しか、もうその姿を瞳に焼き付けることは出来ないのだと思って、あまりの短さに虚しくなった。

最期は骨になって戻ってきた時、小さいなぁ、と思った。
こんな小さくなって、私たちの元に帰ってきたんだねと、悲しいような、けど「おかえり」という気持ちにもなった。

あれ以来私は死が身近に感じられるようになった。
同時に、大切な人がいつまでもいてほしいと願っても、それが永遠と叶うことはないのだと、当たり前のことを思い知った。
悲しいことに、人と人の間には死という永遠の別れがある。

だから大切な人を、より大切にしたいと思うようになった。
まずはたくさん、「ありがとう」を言うようになった気がする。
そうしたら不思議なもので、片方が「ありがとう」を言えば、相手も「ありがとう」を返してくれる。
するとどんどん、お互いに「ありがとう」を言う回数が増えていった。

私と両親の間には、たくさんの「ありがとう」が飛び交う。
小さなことにも、癖のように「ありがとう」と伝え合っている。
食器を直すとき。洗濯ものを畳むとき。洗濯物を洗ってくれたとき。迎えに来てくれたとき。電源タップを寄せてくれたとき。荷物を持ってくれたとき。

伝えなくなると、すべてが「当たり前」に変わっていく。
そしてだんだんそのことが「普通」になって、「当然」になっていくのだと思う。

よく聞く誰かとの喧嘩は、そういう些細なことから始まるのだと思う。
バーンと爆発するのは、その些細なものたちが積み重なってしまったからだろう。
それはとても心が損してる気がするから、小さなことにも「ありがとう」を伝えるようにしている。

きっと今日も、まだまだたくさんの「ありがとう」を伝えると思う。

大切な人に、大切だと伝えられることがどれほど尊いことなのか。
亡くなったおばあちゃんが、二年前の冬に私に教えてくれた。
そして今日、マツオカミキさんのツイートを見て、日常に馴染みつつある「ありがとう」の習慣を改めてしみじみ思った。
私はその気付きを、習慣を、今日も忘れずにいたいと思う。


ちなみに「好き」を伝えるのは時々恥ずかしい。だからハグで伝えてる。
けどもっともっと、大切な人に言葉で伝えようと思う。

あのとき伝えたらよかったなぁ、って、なるべく後悔したくないものね。


#日記
#お父さんと私とお母さんの暮らし
#私と家族
#心に響いた言葉

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