#3 目が悪いのです

視力がバチくそ悪い。今は外に出かける時はコンタクトで部屋ではメガネを掛けている。

視力が悪くなり始めたのは確か小学校4年生か5年生くらい。視力検査の時に1年前までは見えていたCがうっすらとボケていてどこに穴が開いてるか分からず、その現実にショックを受けて視力検査中泣いてた。何とピュアだったんだ小学生の頃の僕は。そっからあれよあれよと視力が落ちていき1番上の段のCも見えなくなった。そっから視力検査の時は検査官が大きなCが書かれたボードを持ち、マギー司郎さんの縦縞のハンカチが横縞になりましたぁ〜的なマジックの感じでCの向きを変えながら自分からどんどん離れていき、Cの空いている位置が分からなくなったら「はい。視力0.なになに」なんて言われて終了。もうそれが本当屈辱なの。他の人達はまあまあ離れた電子ボードにあるCの穴の位置をパンパンパンと答えていくのに僕はほんのちょっとだけしか離れていない大きな大きなCを答えるのに苦しんでいるのだ。それが悔しくて悔しくて。まぁ視力が悪くなったのは長時間パソコンを使ったり、近いところでテレビを見たりと自業自得だからさ。何も言えないのだ。そんなもんだから小学校6年生くらいからメガネデビューを果たした。その時はクラスにメガネを掛けている人はあまり居なくて少しだけメガネを掛けることが特別な事だとおもって誇らしげになっていたけれど、ふとしたタイミングでメガネを外したら、視界がぼやけるのが自分は普通から外れた事を突きつけられた感じがしてとても悲しかったなぁ。それから学生時代はメガネだったけれど高校1年生の時に好きな女の子に「コンタクトにしてみたら?」と言われてすぐさまコンタクトに変更した。親は眼科医の“目が傷つくから辞めた方がいい”という意見に賛成派で(僕もそれまではそっち派だった)止めに入ったけど強引にねじ伏せコンタクトデビューを果たした。あまり親に反発する方ではなかったがあの時は凄い親に反発したなぁ。それほど恋の力は偉大なのだ。好きな女の子に「いいじゃん!」と言われ浮かれに浮かれ告白したが学校のミスランキングにランクインするほど美人だったので自分なんかが付き合うなんておこがましいと思い、“付き合って下さい”は言えずただ“好きです”とだけ伝えるというまぁ何とも言えない中途半端で気持ち悪い告白をしただけに終わった。数ヶ月、その女の子に高身長でイケメンの彼氏が出来たのでその時に僕の恋も終了。あぁ今思い出しただけでも恥ずかしいしダサい。もっと当たって砕けろよとあの時の自分に言ってやりたい。

まぁそんな事があってコンタクトをするようになったので、最初に説明した通り普段外出時はコンタクト、家ではメガネというすたんすになった。今まではメガネが無いと生きていけなかったから必然的にメガネを壊さないように壊さないように国宝レベルで大事にしていたけど、コンタクトをするようになってからは、まぁ別にコンタクトが有れば生きれるからなぁという考え方に変わり、今までに比べメガネへの重要度がみるみるうちに減っていった。それでたまーに雑にメガネをポーンと置くと親に叱られたりする時もあった。それぐらいメガネの大切さが僕の中では薄れていたのだ。

で、そんな状態のまま高校卒業後は大学進学のために県外に行って、そんで今神奈川で暮らしてるのでかれこれ一人暮らし歴は6年くらいになった。一人暮らしなので当たり前だが叱る人は家には居ないからどんどんメガネを雑に扱うようになってしまう。たまにパーンて蹴飛ばしてしまったり、踏んじゃいそうになったり、旅行した時にメガネを忘れた事もあったり。後は僕自身お酒が好きでよく1人家で飲む事があって、完全に酔っ払うとメガネを雑に枕元に置くクセがあるらしく(その時の記憶は全くない)それで朝起きると僕の寝相がダイナミックなのかはたまたメガネが僕が寝ている間トイストーリーのおもちゃ達のように動いているのか分からないが枕の下や僕の背中の下とかで発見される。ひゃっ!!となって起きて恐る恐るメガネを掛けると酷いぐらいに歪んでいて、それはもう寝癖も相まって実験に失敗した科学博士のビジュアルが完成するのだ。そんな過ちを数回繰り返している(数えると自分のだらし無さに引くので数えるのは放棄した)。“はぁーーまたかー”と落ち込みメガネを購入した店舗に行って直してもらうのだが、その時店員さんが多分クレーム対策で言ってるであろう「力を加えて歪みを直すのでもしかしたら壊れちゃう場合があるんですけど、その場合こちら側からの負担はないんですけど大丈夫ですか?」が最初の頃は何にも気に留めていなかったのに、数回歪ませているのでもしかしたら今回の修理が山なんじゃないかと内心ソワソワしてしまう。といっても壊れる事なく無事完璧に直してくれる店員さんには感謝してもしきれない。無事帰ってきたメガネを掛けて「すまん!次からはちゃんと大切に扱うから!!」と心の中で毎回誓ってみても、やっぱり人間は同じ過ちを繰り返すようにできてるからか数ヶ月後にはまた枕や背中の下からぐにゃっと歪んだメガネが出てくるのだ。

何でそんなことを繰り返してしまうのだろうと考えてみて1つ答えっぽいのが出た。多分だけどメガネやコンタクトをし始めてもう13年になる。外に出る時はコンタクトで部屋ではメガネを掛けているので実質裸眼の状態はお風呂に入る時と寝る時ぐらいで視力が低下した世界を実感する事が1日のうちに数分しかない。目が悪くなり始めるた当初は数年前までは見えていた世界がぼやけている事が恐ろしくて、だからこそメガネが無ければ暮らしていけない事を実感していたから大事に大事に扱っていたと思う。ただ今になってはコンタクトやメガネによって視力を矯正して見る世界に慣れてしまっていて、目の前の世界がボヤける事への恐ろしさが薄くなっているため同じ過ちを繰り返しているのではないかと思った。

つい数週間前も家で飲んでた次の日に枕の下でぐにゃっと歪んだ状態でメガネが発見された。いつもならコンタクトをつけてメガネ屋に修理に向かうのだがボヤけた世界への恐ろしさを実感するためにも裸眼でメガネ屋さんに向かった。やはり怖かった。僕の視力は両目とも0.05くらいなので歩行者信号のマークなんて見分けることが出来ないし、向こう側から来る歩行者にも数メートルまで近づいてこないと気づかないぐらいだ。普段僕の視力だと生きていく上ではこんなにも不便なんだと改めて実感することができた。何とか無事に事故とかにも会わずメガネ屋さんに辿り着き、無事完璧に直してもらいメガネを掛けた。いつもの鮮明に見えた世界が戻りホッとしたと同時にメガネへのありがたみを改めて実感した。これからは初めてメガネを掛けていた時の気持ちを持ちつつ扱う事を誓い、なるべく高いとこにメガネを置いて電気を消す。いつも当たり前の世界を見せてくれてありがとう。メガネよ!!


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