日記(「おにいさん」と「おじいちゃん」)
最近仕事でとあるイベント対応をしている時に思ったことがある。
イベントの中で子供たちの写真撮影があり同僚の女性陣が対応をしていたのだが、司会者が「それではみんなカメラを持っているおねえさんの方をみてくださーい!」と言っていた。
それを聞いてふと思った。
私たちは、このように子どもたちの前で「おにいさん/おねえさん」と呼ばれるのはあと何年だろうか。
写真撮影は同世代の女性が担当していた。20代最終盤の今の年齢だとおにいさん、おねえさん呼びは見た目からも違和感がない。
しかし全く同じ局面でもう少し上め人を見かけた時、「おにいさん/おねえさん」がしっくりこない時に、子ども相手に表現する失礼にあたらない適切な呼び名を持ってないと思った。
おとうさん/おかあさんでもない、おじさん/おばさんは失礼、じゃあ何がちょうどいいんだろう。
おにいさん/おねえさん→おじいちゃん/おばあちゃんの間の適切な言葉ってなんかありますかね。
そんなことを考えていると、人は年齢を書いたネームプレートをぶらさげて歩いているわけではないので、相手が中高年なのか若者なのか、いい歳をしているかそうでないかの判断基準は基本的に見た目に依存していると気付かされた。
街を歩いていて「いい歳をした大人が…」という振る舞いの人を見かける事もあるが、老け顔20代の可能性だってある。
逆に会社で「若いのによく仕事ができるなあ」と思っている人が童顔40代の可能性だって全然ある。
プレゼンの冒頭で年齢など名乗らない。よって見た目が若々しい人を積極的に対外起用すれば「若手が活躍している職場アピール」ができる、という倫理観の欠片もない気付きが得られてしまった。
私は比較的童顔寄りと言われがちなのであまり不利な思いをしないが、実年齢より老けて見えると「いい歳してるのに仕事ができないなあ」など思われるのは大変そうである。
よく「〜〜歳ってもっと大人だと思ってた」のような会話で盛り上がる。もう小学5年生くらいからずっと言っているような気がする。多分40歳になっても言ってる。
そんな話題であれほど盛り上がるのに、活字になった瞬間に人は驚くほど年齢で人を判断する。
つい最近も「28歳という、まだ未熟だけど、子供ではない。大人のような。子どものような」といった発言が、28はガッツリ大人だろみたいな感じでバッサリと反論されていた。
多分多くの本物の28歳に言うほど大人の自覚はない。このように表で発言しないまでもどこかで「まだまだ子供だなあ」と思っている28歳が実は大多数なのではないか。
私も30手前で、人の親になって全くおかしくない年齢で、まさかこんなにも幼稚なままいるとは思わなかった。
歳の差婚のニュースだとか、意識調査だとか、そういったものになった瞬間に残酷なほどドライに仕切りが引かれる。
将来的に「若い頃」で括られる年はあと数年で終わるのかと思うとせつない。
最近父親が還暦を迎えた。
60歳、定年退職の年齢だ。
年齢情報だけみると「おにいさん」はおろか、「おじさん」でもなく、「おじいちゃん」の年齢と言って差し支えないのだろう。
というより実際におじいちゃんになってたって全くおかしくない。事実私の同級生は着実に子供を産み始めているのだから。歴とした祖父母年齢なのである。
だけど自分の父親が既におじいちゃんで、母親ももう数年でおばあちゃんだという実感はまるでない。おばあちゃんが若い頃夢中で見てたものがキムタクや福山な時代が既に来ているなんて信じられないのである。
おじいちゃんおばあちゃんはダイヤル式でチャンネルを回すテレビの世代だという偏見がいまだにどこかある。
我が家では一度もそう呼ばれることはなかったが、おじいちゃんおばあちゃんのことを「じいじ/ばあば」と呼んでいる家庭もある。
あれは両親をおじいちゃん/おばあちゃんと直接的に呼ぶことにどこか抵抗があってそうなっているのかなとか考えた。
それにしても年齢で人を括るのは自らの首を絞めるのでやめたほうがいい。
なんてったって同い年の大谷翔平が10年総額1014億円である。単純計算の日給が2778万円である。
そんなのと比較されたらたまったものではないので、年齢を物差しにするのはやめた方がいいよねって話と、年齢ってなんとなくの見た目で判断されてるに過ぎないなあってことを最近考えているというお話。
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