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不透明

 桶に入れられた金魚を、ぼうと眺めていた。
 家内が縁日から持ち帰ったというので、
「金魚は鉢に入れるものだろう」というと、
「あら、迂濶していたわ」と唆っかしく家を飛び出してしまった。
 突然の客に鉢に入るまでの仮家で辛抱してもらうことを少々申し訳ないことのように思い、せめてもの慰めで、裏手にある畑の脇の細い水路から冷えた水を汲んでやった。
 金の魚とはひどく大層な名前で呼ばれたものだなと思っていたが、それは私の見当違いで、ようく観察していると如何に確りくると考えを改めた。
 燃ゆるような緋色はゆるやかに水中を揺蕩い、時折身を翻しては爽やかに佇んでいたので、見た目とは裏腹に清涼な印象を私に植え付けた。その身はいつか見た赤く艶めく鉱石のようでありながら、尾鰭に至っては腕の立つ職人に特注で仕立てさせたレースのようにも見える。体表の深くまで眼を凝らすと、隙間から黄金が覗き、宛ら一昔前に中国で見た朱塗の建造物を彷彿とさせた。それとは対照的に、生気の無いその目は何に訴えかけるでもないように無機質であったが、精巧な部品を貼っつけたような繊細さがあった。

 四半時過ぎ、家内は両手に金魚鉢を抱えて戻ってきた。
 知り合いから貰ってきたというそれは、水面に滴を落としたままを切り取り波打った口を広げ、縁に沿ってベビイブルーの階調が彩っている。下部はずんやりと大きく拡げられた球状で、しんと透き通る硝子の素材と相まって、とても可愛らしくみえた。
 桶の水を移して新しい住処の主を手に取った際、あんまり跳ねるものだから、遂には溢れ落としてしまった。家内は慌てて拾い上げると、やさしく包み込んだ手をそのまま鉢の中へ入れて、濡れることも厭わずに水中でゆっくりと拡げた。手を鉢から取り出すと、濡れた白い手の甲が何時にも増して透き通っていたものだから、一瞬目を奪われて、今度は私がタオルで家内の手を包み、指と指の間まで丁寧に拭ってやった。
 金魚という生き物は鉢に入れた途端、様になるものだなと思った。球の硝子で閉じ込めたそれは生命を宿した宝石のように輝いて、この対の形こそが原型なのだと言わんばかりの説得力があった。
 タオルから手を抜き取り、宝物を扱う際にみせる所作で鉢を抱えて、居間にある胸の高さほどの古箪笥の上に置いた。

 家内は、名を葉子という。
 遠い親戚の紹介で見合いをして、五年前に籍を入れた。当初はとんとん拍子に事が進み殆ど他人のまま暮らしていたのだが、五年という年月は其れなりに長いもので、葉子という人物を知り得てきた実感がある。
 葉子は慎ましく、よく働く女だ。
 欠かさず早朝に起き、炊事洗濯を済ませ、遂には今日に至るまで不満の一つも口にした事がない。私にはとても勿体無いと、常日頃感じているのだ。
 然し、心配に思う点が一つだけあった。葉子は趣味を持たない。
 以前、私が仕事をしている間はどのように過ごしているのか、と問いかけた際には、
「家事を少しと、あとは、ゆっくり寛いでいるのよ」
と言ったきりで、どうやら本当に何もせず、時が流れるのを過ごしているだけなのだという。
 外に出掛ける用事も飯と日用品の買い出し程度のもので、何時も私が何かと言い訳をこじ付けて、漸くデパートや美術展に連れ出していた。
 服装にも頓着の無い様子で、不恰好な衣装を幾年も着回していたので、東京に旅行へ連れ立った際、下町の服飾店で白地のワンピースなど買い与えてみたが、二、三度身につけた後、其の儘箪笥に閉まったきりであった。
 私は葉子は家に居たい人種なのだと、ただ一人そこに居るだけでよい人種なのだと、それ以来外出の誘いをぱったり止めてしまっていた。
 誘いを止めてからというもの葉子が家に引き篭もることが、蛇口から流れる水が上から下に落ちる様と同じく、当たり前で如何にも自然の摂理であるかのように思えてしまい、寧ろそれを推奨することさえあった。
 その為、先日友人と縁日に出掛けると言ったことには驚いた。更に金魚まで持ち帰って、終いには知り合いに鉢を貰いに行ったのだから、私は尚更驚かされた。
 これは良い兆候だと思うのだが、何か悪い方向へと心境の変化があったのではないかと勘繰ってしまった。不満の一つも漏らさない女であるからこそ、その勘繰りはより一層深みに嵌り、私の悩みの種の一つとなって、その芽が発するのは今か今かと黒い感情が渦を巻いて思考を遮っているような気さえした。

 仕事を終えて草臥れた出立ちでのっそり帰宅すると、葉子は金魚を眺めていた。
 痩せた横顔には少しだけ黒い髪が掛かり、光を折り曲げた鉢がその顔を艶やかに照らしている。細い首筋もまた白く光り、じんわりとした肌に浮いた骨が影を落としていた。視線は真っ直ぐに鉢を見つめているようであったが、金魚が向きを変え移動した際には、その黒い眼もついと滑り追っているのが分かった。
 それは単に観察をしているだけに留まらないように思えて、互いの意識を混ぜ合わせて、まるで鏡合わせであるかのように対面していた。
 「戻りました」と声をかけるとはっとして、夕餉の支度に取り掛かった。
 箪笥の前に立ち葉子と同じように見ていると、鉢には透明な水と金魚しか入っておらず、その寂しさが気に留まった。
 庭に出て砂利と都合の良い大きさの石を選別して、彩水を汚してしまうことを恐れ、よく洗った後、鉢に入れてみた。
 其の儘、近所の小さな池で水草を取り、また同じように洗って鉢に入れた。

 金魚を飼い始めて数日経った休日の夕暮れ時、居間で新聞を読んでいると、葉子は
「友人とお食事に行って参りますね」と言い、外出した。
 それが私にとって悪い芽であるかどうかは判断が付かないが、一抹の不安が頭をよぎった。
 蝉の声も静かになりだした頃合いに、ふと金魚が気になり、餌でもやろうかと炊事場へ行き、麩を一欠片取ってきた。
 千切った麩を少量ずつ鉢に入れると、水面に浮いた麩にゆっくりと近付いて、小さな口をぱくぱくとさせて食べた。
 その様子が妙に面白くなって、一つ、また一つ、麩を鉢に入れた。
 また一つ、とやっている内に、濃い哀愁を感じるようになっていた。
 この金魚は私が何か与えてやらないと、死んでしまうのだ。腹を天に向け、この麩のように浮かんで、死んでしまうのだ。
 石も、水草も、私が与えたことで、その狭く透明な世界に彩りを付与してやった。
 食事を与え、景観を与え、小さな生命を維持するには私という一種の機関が必要不可欠なのであろう。
 然しその程度のことで、この美しい生き物の欲望は満たされるのだろうか。
 いや、決して満たされないだろう。其れどころか、反発した心は我武者羅に飛び掛かって鉢を突き破り、私の喉元に喰らいつくだろう。
 そんな妄想をしている内に、私は気が付いてしまった。
 この生き物が求めているものは、外界だ。この狭い鉢を飛び出して、自由奔放に泳ぎ回ることこそが真に求めている欲なのだと、私は理解した。
 清く透明な空間で、不透明な未来を見続けるなぞ、残酷で凄惨な死を迎えるよりも遥かにもの哀しいことである。
 例えそうであったとしても、私はこの生き物を黄金の意志をもってここから出す訳にはいかなかった。
 鉢から取り出して池に放流したとすれば、瞬間その赤い身は他の生物に喰い千切られて、血の赤と混じり合い、其の儘暗い水の底に沈んでしまうのだろう。
 将又その小さく貧弱な体では、きっと飢餓に悶えて絶望してしまうのだろう。
 そんなことがあってはならない。
 残酷で凄惨な死を目の当たりにするくらいならば私の手の届く場所で無痛の暮らしをして欲しいと望む自己意識を尊重する為に、私の我儘で利己的な正義の為に、この生き物には不透明な未来を見続けてもらうしかないと思い至った。
 だから、せめて私が健康に生きながらえている間は、貴方を心から慈しみ、与えられるものは全て与え、不自由でありながらも健やかな暮らしを提供すると誓おう。
 どうか私の醜いエゴイズムの為だけに、その堅牢なしゃぼんの檻に永劫住み続けてくれないか、と心の内で涙ながら懇願する想いだった。

 数刻して、葉子が帰ってきた。少し酔っているのか普段は真白の顔が赤く染まっていて、まるで金魚のようだな、と笑った。彼女も笑った。
 涼しくなった頃に、一緒に海にでも行こうかと誘うと、また笑ったので、私はほっと息を吐いた。
 夏の夜風に溶けてしまった赤色を、私は近くで見ていたいのだ。


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