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いつでも記憶の中に。

わたしは、冷凍庫をいっぱいにするのが好きだ。

家計の節約術。一人暮らしを始めて少し経ったころに見た記事に書いてあった。冷蔵庫をいっぱいにするより、冷凍庫をいっぱいにする方が電気代の節約になるという。

日曜の午後、バイトを終え買い物へ行き、帰ってひたすら野菜を切る。この時間は、時間を大切にできていると感じる。野菜を切りながらインタビューを受けている設定で独り言を言う。

「文さんは幼い頃、どのような遊びをしていましたか?」
「1番記憶に残っていることは何ですか?」
「お母さんがお亡くなりになったときのこと詳しく聞かせてください。」

インタビューに答えながら母のことを思い出す。

お母さんはわたしが高校3年生のときに亡くなった。わたしはお母さんが大好きだった。

記憶の中のお母さんがキッチンに立っている。

わたしが中学生になったとき、お母さんはパートを掛け持ちしていて家事はほとんど祖母がやっていた。わたしは、母の作るご飯が好きだった。茶色が多かったり、油ものが多かったり、祖母とは違う今どきのご飯。チーズ春巻き、ロコモコ、カニクリームコロッケ。おいしいものをたくさん作ってくれた。その中でも1番記憶に残っているのがロールキャベツ。

わたしの15歳の誕生日。「何か食べたいものある?」いつもだったらお寿司か焼き肉の2択だが、お母さんがロールキャベツを提案してくれた。テレビで大家族スペシャルがやっていて、そこで大家族の母親がロールキャベツを作っていた。その影響だろう。わたしの口はもう完全にロールキャベツ。

準備は16:00から始まる。鼻歌を歌ってタネをキャベツでくるくる巻いている。たまに覗きに行く。コンソメのいい匂い。

「まだ?」
「もうちょっと。」

スープが染み込んだロールキャベツ。お母さんが丁寧に作ってくれた味。温かくて心もいっぱいですごく幸せだった。

「爪楊枝くらい取れよ。」

お父さんが空気の読めない発言をした。空気が読めないと言うかふつうはそんな事言わない。この記憶は幸せとモヤモヤが一気に込み上げてくる。お父さんのそういうところが嫌い。

お母さんはやさしい人だった。
お母さんは子どもが大好きだった。
お母さんは、子どもを子供と書かない。 
子どもは、供えるものじゃないからと言っていた。
お母さんのそういうところが好き。

お母さんは不器用な人だった。
お母さんは一生懸命な人だった。
お母さんは弱かった。泣き虫だった。


お母さんを守りたかった。
お母さんを自由にしたかった。

お袈裟かもしれないけど、本気でそう思っていた。

中学の卒業式、わたしたちのクラスは合唱コンクールで歌った歌を保護者の前で歌った。下手くそな歌。あんなに練習したのに、久しぶりに歌うとバラバラで音程もぐちゃぐちゃだった。でもそんな歌をお母さんはボロボロ涙を流して聴いていた。その姿を見て、笑えてきてわたしも涙が出た。


その日、夢を見た。
お母さんが泣いている。

目が覚めて、わたしも泣いていた。
夢の中でわたしは、お母さんに向かってもうどうにもならないことを一生懸命話していた。けど、そんなことをしたってお母さんは行ってしまう。現実は甘くない。人は死ぬ、いつかお別れが来るのだ。


だからわたしは、今日もこの記憶たちを大切に温めておこうと思う。いつかまた会えたときに、新しい話題を付け加えて「まだその話続く?」と呆れられるくらい、たくさん話したいと思った。

生まれ変わってもお母さんの子になりたい。

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