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ドイツ歌曲の話番外編 冬の旅〜無伴奏混声合唱版 #2 第一曲 Gute Nacht

24曲からなるこの曲集の第一曲のタイトルはGute Nacht (おやすみ)

ここが旅のスタート。旅をするのは、ある青年。
彼はなぜ旅をするのか。そもそもこれは旅なのでしょうか。

彼はある女性に失恋します。片思いしていたわけではなく、彼女のお母さんが結婚を口にしたほどの仲。なのに。

彼はこの村ではよそ者でした。彼女と恋仲になることで、この村に受け入れられたとも思ったでしょう。しかし恋に破れた今、またただのよそ者として、この村を去っていくのです。

そんな「旅」のはじまりが提示されるのがこの曲。

4分の2拍子 ニ短調

速度表示はMäßig、中庸に。シューベルトの自筆譜ではMäßig, in gehender Bewegung 中庸に、歩くように、とあります。

往年の名伴奏者、ジェラルド・ムーアによると、この曲のテンポは他のどの歌よりも標準的、だそうです。なぜか。まだ旅は始まったばかりだから。足を引きずったり、よろめいたりはしません。

前奏は特徴的なさすらい(Wandern )のリズム、♪♪♪♪ ではじまり、この曲中ずっとそれが貫かれることによって長い終わりの見えない旅になることを予感させます。

さて、この千原版では前奏は原曲のピアノパートをかなり忠実に“dun dun... や “lon lon...” などのスキャットで歌います。
正確にいうと
dun,la,lan,lo,lon,ah,lun,lum,m, 前奏だけで9種類あります。

千原氏によると
「ザッ、ザッ、と雪道を踏みしめて歩く、雪がしん、しん、しん、と降っている」
そういう光景を表したいのだそうです。

素晴らしいピアニストはそのテクニックで様々な音色を生み出すものですが、そういう意味では人間の声も負けていません。

前奏に続き、まずテノールが歌い出します。「よそ者としてやってきて、よそ者として去る」
冬の旅のキーワードとも言える「よそ者(fremd)」という言葉からこの歌は始まるのです。
そしてこの歌い出しの音がこの曲の最高音。こういうことってあまりないですよね。 
ここはやはり女声ではなく、男声の声で語らせたいです。他パートは続いてスキャットでピアノパートを歌います。

「彼女は愛を語り、お母さんは結婚さえ口にした」というこの曲の一番幸せ(だった)部分からは、全パートが歌詞を歌います。女声はピアノパートに倣って遅れて別の美しい旋律に同じ歌詞をつけて歌い出します。

男声のメロディを追うように歌い出すことで、聴衆はさまざまな想像ができるでしょう。青年がかつての彼女の口から出た愛の言葉を思い出している、のかもしれませんし、どこからともなく聴こえる嘲笑、のようにも聴いてもいい。

この曲は4番まであり、実は24曲の中で一番長い曲です。

この中でどのパートが旋律を歌うのか、というのは歌い手にとって、というよりは聴き手にとって様々な想像を呼び起こすきっかけとなるのではないでしょうか。

特に男声と女声の違い。
私もかつてリサイタルで冬の旅や、詩人の恋を歌ったことがありますが、そういうことではなく、この曲集を無伴奏合唱として、男声と女声が一緒に歌うということ。

ジェンダーフリー、という言葉を昨今よく耳にしますが、ここではどうしようもなく「ジェンダーあり〜」なのです。

そして後奏。
詩の最後で彼は
彼女の家の扉に「おやすみ」と書いて出ていきます。彼女を起こさないようにそっと。
「僕が君のことを思っていたと分かるように。」

「思っている」のではなく、「思っていた」というのは彼の最後の意地?それとも彼女への思いやり?

その言葉を後奏では繰り返します。

君のことを思っていた・・
君のことを思っていた・・

これはアルトが歌います。ジェンダーニュートラルな感じかもしれません。男声が歌うと恨みがましくなるかもしれない。

この曲集ではこのように後奏にも歌詞がつけられていることがよくあります。それによって聴く人はいつ本編が終わって後奏に入ったか分からないまま終わったという印象を持つかもしれません。またこの曲をよくご存知の方は本編の気持ちをずっと引きずる青年の後ろ姿を見ることが出来るでしょう。

とにかく、旅ははじまったのです。

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