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昭和音大のゲネプロ「愛の妙薬」を観た

2023/10/11追記
極めて残念なのだが、以下の生配信動画は見ることができなくなっていた。
よって、感想記としてご覧いただきたい。

本題の動画はこちら。

なお、本日および明日が本公演のようなので、この記事を見て見に行きたいと思った奇特な方はぜひこちらから確認することをすすめる。


また、会場では舞台端の部分に日本語字幕が表示され、何について話しているかを十分に理解できるが、こちらの動画では表示されていない。
ぜひオペラ対訳プロジェクトをご覧になりつつ、観ることを推奨する。

Act 1


Act2


特別、私は昭和音大に対して思い入れがあるわけではない。
しかし、この大学の先進的な取り組みとしてYouTubeを使用していることは、非常に評価している。

個人的にはLasciar d'amarti (あなたへの愛を捨てることは)の歌唱指導の動画は、完成度も高く、非常に洗練されている動画で、一見の価値があるのだが、こういう良い動画は埋もれてしまうのだ。全く残念なことである。



さて、本題の感想。
そもそも愛の妙薬は、オペラ初心者でもストーリーラインもはっきりしているので、うってつけである。また喜劇であるため、日本人受けする。非常に陳腐な表現であるが。

さらに、トリスタンとイゾルデの知識があれば冒頭部分から、ああこれなのね、と理解できる要素が増える点も(これは他のオペラにしてもそうだが)良い。

もちろん現実でこのストーリーのようなことが起きるかどうかは別としても、そういう心持ちを持って演じてもらえると、より伝わってくるものがあったのではないかというのが、ゲネプロの感想である。

つまり、このドニゼッティが描きたかった愛の妙薬の主題とは何かについて、より理解を深めてほしいと考える。

技術面は一般人たる私がとやかく言える立場にない。プロと比較してしまえば、尤もパヴァロッティのような素晴らしい人物と比較してしまうことこそが甚だ間違いであると言わざるを得ないのだが、練習は大いに必要であると思われる。しかし、この才能を腐らせることなく全員が活かしてほしいと思うところである。


悲しいことであろうか、オペラなどの声楽専攻者は幼稚園や学校の音楽の先生という仕事に就くならまだしも、ほとんどがその才能を活かすことなく、一般事務などに就いてしまう。嘆かわしいことである。

定期公演であろうが何であろうが、舞台に立ったという経験は我々一般人にはない。いや、正確に言えば公演終了後に舞台演出の説明などをしてくれる機会があり、壇上には何度か登ったことはあるが、少なくとも有観客の状態でということであれば無い。

こういう体験で感じた気持ち、それを忘れることなく伝えていくことが彼・彼女らの音大へ入学した以上は使命であると考えているが、それもまた押しつけであるから、難しいところである。

しかし才能を活かすことなく一般の仕事に就いてしまうというのは、音楽で生きるということの難しさを表しているだけではなく、社会全体の受け入れる体制が整っていない証拠であるともいえ、こういった面をより強化していくことが求められているのだろうと思うが、こと私がという文脈で言えば、支援できるようになるのは相当先であろう。

何れにせよ、若い世代の頑張る姿は美しい。
良いものを見せていただいた。


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