夏風邪はつづき思考もつづく

鼻が詰まった。口を開けて寝た。
翌日は喉が痛かった。熱が出た、収まったら鼻水が出た。空咳が続く。

誰にうつされたとか、自分の健康に気を遣っていなかったとか、そういう問題ではない。起点が他人ではなく、自分に変わったのだ。
つまりこの健康問題を契機に、改めて自分を見つめ直す時間を取ることができたように考えている。

いつからそういう思考になったのだろう?思い返しても、思い当たる節はない。病魔のごとく自分を侵食し、思考が住み着き、身体にも人間関係にも問題を生じさせてきた。やっとその事に気づけた。

フラットな人間関係。求めていたもの。
なにかに意味を見出し、それに意味付けすることで、他人の現象を説明する。究極にはそれを無視できれば良いのだが、そうもいかない。自分と他人と、それを評価する第三者。これほど脆弱で、信頼のない評価はない。しかし、それによって行動が制限される。

実は求めてきたそのフラットな人間関係も「フラットな人間関係」であって、第三者に意味づけされる。ふしだらだの、不健全だの、疑われるような行為だの。果たして何の意味があるのだろうか?

究極に自分起点で行動をしたい。他人に迷惑をかけても、何でも良い。その間柄で説明がつくのであれば。

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