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映画『プリティ・ウーマン』を観て得られた示唆

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言わずとしれたリチャード・ギアとジュリア・ロバーツによる、現代版椿姫(シンデレラ?)とでも言おうか。
いずれにせよ、90年全米興行第一位となったことも頷ける、The Amecan Dreamを体現する映画である。なお、この映画はディズニー映画でもある。
途中シンデレラに対する強烈なアイロニーがあるが、それもまた表現の自由だ。

さて、この映画から得られる示唆は何であろうかと考えたときに、特にリチャード・ギア演じるエドワードの視点から考察する。



映画内での変遷

冒頭

仕事に、女性関係にうまくいくビジネスマンとして登場するエドワード。
女性に対する対応も、ビジネスライク。秘書に連絡を任せることも多い様子が描かれる。彼の場合、全てが会社を中心に回っているため、女性に対して交換可能な財としてみなしているような様子さえある。

しかし運転はNG.ここでヴィヴィアンが登場するわけだが、ここでも金銭的なやり取りでトレードオフとなる。彼はビジネスライクである。1週間を3,000ドルで買い上げ、契約を履行させるために従業員という言葉を使用する。ある意味、これも代替可能性を示唆しているわけだ。

現代の価値観で言えば、憤る方が出てくるのはこの冒頭部分だろう。

中盤

彼はヴィヴィアンと過ごすうちに、単に契約を履行する存在としての女性から、徐々に認識が変わり、女性として認識をし始める。それは服装なり、対応なり、その身分が彼女を育てたことにも一要因があると考えるが、それは詳しく説明しない。

しかし、大学院まで出ている彼にとって、食事なり服装なり(父親の会社を買収した、という言葉がある通り、それなりの暮らしをしていたのではないかと推察すると)、ヴィヴィアンは異質な存在だっただろうが、そこに一切の焦りはない。過去の恋愛遍歴でも同じような女性が居たのかもしれず、想定内だったかもしれない。

しかし彼も人間である。オペラのシーンにも現れる通り、どこかで救済を求め、同僚には娼婦であることを開示してしまう。そのことから始まる一連のトラブルによって、感情や願望、職業を超えた複雑さを持つ個人として彼女を認識するのだ。ステレオタイプや社会規範を超えたものを一個人から見出すようになる。

終盤

終盤には、もはや女性(ヴィヴィアン)を交換可能な財としてではなく、愛と尊敬に値する人間として認識している。
ヴィヴィアンとの交流によって、彼は女性、そして一般的な個人が持つ感情的な深みと価値について、思考を巡らせることで、短期的な利益を追い求めず、表面的な判断を超えて深く理解するようになる。

同僚がヴィヴィアンに迫るシーンは、序盤の彼の悪い部分を抽出したようなものだ。映画内のカタルシスとなるだけではなく、彼の過去との決別も表現されている。
買収先企業が協業企業となるシーンでは、解体から再構築という流れを取ることで、ヴィヴィアンの存在により、父親との雪解けも表現されているのかもしれない。


示唆

1.見かけによらない

この映画は、見かけによらないものの見方の重要性を強調する。
一方では、大学院卒の企業買収を手掛ける社長。他方では高校中退の娼婦。
先入観に囚われ、本来ならば交わることがなかったのであろう。また冒頭部分を見るに、感情との断絶状態にあったといえよう。

しかし、最後が様々な交流を通した上で、感情を取り戻し大団円を迎えたことからも理解できるように、人間の「本当の」資質や性格が、必ずしも外見や職業と一致するとは限らないことを示している。それから得られた本物のつながりや愛は、物質的な富や社会的地位よりも価値があることでさえ、示唆している。

それにはすべての人の独自性と個性を認め、評価することだ。社会的規範や外見に基づいて、安易な判断や一般化を避けることが必要であろう。

2.情けは人のためならず

エドワードが、支配人がヴィヴィアンに対して見せる優しさ。異なる背景を持ちながらも、誰に対しても思いやりをもって接することの重要性を強調する。

彼らはビジネスライクに付き合うことも可能だった。しかしそれを良しとせず、自分の信念に従ったとも言い換えられる。共感することを実践し、より深いレベルで他者を理解しようと努める。相手の考え、感情、願望を理解するために有意義な会話をする。これは4のコミュニケーションの重要性にも通じるが、コミュニケーションの深化は、他者理解の深化でもある。

3.自分を信じる

娼婦から紆余曲折を経て、自信に満ちた女性へと成長するヴィヴィアン。
ヴィヴィアンとの交流を経て、過去を受け入れ、認識を改め新たな道を歩もうとするエドワード。これらは、徹底的な自分に対する信頼と実行力で切り開いていることをを示している。
自分を受け入れ、自分の能力を信じているのだ。

4.コミュニケーションの重要性

職業や経歴などを背景とした、表面的な人間関係にとどまらず、オープンで正直なコミュニケーションの重要性を強調する。
作中で、エドワードとヴィヴィアンがお互いの心理を開示するシーンがある。この一件で、破滅に向かう既のところで踏みとどまったのも、進んでコミュニケーションをとったことが功を奏したのだ。

弱音(自分を形成した過去のこと、本来の意図とははずれた発言によって、発生した想定しえない感情の揺れ動き)を吐くことで、互いをより深く理解し、絆が深まった。

5.自分を受け入れてくれる人を見つける

ありのままの自分を受け入れてくれ、自分を変えようとしない人と一緒にいることの大切さ。
過去は変えようがないのだ。それをどう今から変えていくのか。エドワードは最終的に、彼女の屈託のない純粋さに惹かれて恋に落ちたのだ。

6.リスクを受け入れる

どちらの登場人物も、コンフォータブル・ゾーン(心理的安全性が担保された部分)から一歩踏み出すことで、感情的なリスクを冒した。これは上手く行かなかったときに、心理的にダメージを与えるのだ。

ホテル最終日のシーンを思い出して欲しい。前日にヴィヴィアンはホテルを出立し、一人残されたエドワード。心理的障壁を示しているバルコニー。足を踏み入れ、外を眺めているのは、彼の変化を示している。
結果、宝石が契機となって彼女を迎えに行く、ということに繋がった。

このようなリスクテイクは、個人の成長や有意義なつながりを形成する上でも不可欠といえよう。


おわりに

感情的な弱さを受け入れること。表面的な関係よりも、意味のあるつながりを優先すること。コミュニケーションスキルに投資すること。人間関係における自己成長のためのサポートを求めること。自分を大切にし、自分の価値を認めること。文化的認識を養い、多様な視点を受け入れること。前向きに考え、愛を信じ、新しいつながりを受け入れること。

これらは得られた示唆を更に昇華させて考えたことである。私にとって必要なことが、これら全てである。
昨日の一件を引きずって、なにか得られることを期待して映画を観たわけではないのだが、改めてこのように文章化することで思考が整理された。


残念ながら、私はリチャード・ギアのように魅力的ではない。もっとも魅力的であれば、芸能人の道を歩んでいただろう。
それを受け入れるためには、何をすべきなのか、思索してより良い人間になるための努力を重ねたいと思う。

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