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すこし不便だなと感じる愛おしさ

新居は最寄駅という最寄駅がない。しいて挙げるならいくつか駅はあるのだが、どこも徒歩30分くらいかかる。しかしバス網が発達しているので、大きな困難にはならないだろう。いまの季節は少し、いやかなりツライが、自転車だってある。

私の実家と比べたらバスがあり、30分歩けば的に着くことは便利なのだが、都心というエリアですこし不便だなと感じるこの感覚が、なんだか愛おしい。私にとっては、この「すこし」というのがたいせつみたい。

バスはぴったりに来ないから、早く着いたり、遅れてしまうことも益々増えるだろう。人が仕組みに合わせるのはおかしい、仕組みが人に合わせるべきだと思っていた頃が懐かしい。いまは仕組みや人にすら合わせていない。起きることに合わせていく感覚なのかもしれない。

(それでも、バスの、この時間の乱れ具合にはまだ慣れない。日本にいて、いかに恵まれてるかを実感する。)

わたしたちは、置かれた環境からあまりにもたくさんの影響を受けているのだと気づく。人体は食から構成されるように、人生は環境と近しい人間関係から構成されていると思う。

あらためて、なにを摂取するのか、どんどん感覚が研ぎ澄まされいることに気づく。それは地に足がついてなかった頃とはまた違う。現実に根ざし、宇宙の叡智もたしかに自分を介して降りてきているのだ。

ユニークな体験をしているな、と思う。

2021.12.11 17:40 @tokyo 

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