止まっていたプロセスも進み、巡行。

錆びて止まっていた歯車が回りだしたような。そんな、2021年6月。

私は私自信を大切にできないようなことはやめたい、そういう小さな芽が出始めている気がしている。

前に進むには。つらい感情にしっかりと居場所を、スペースを与えてあげる必要があるし、たくさん泣くこともあるし、さよならをすることが大切なんだ。

身近な方が故人となってしまった場合、忘れよう、忘れようではなく、しっかりとその悲しみに向き合うことが前に進む秘訣なのだと聞いたことがある。それが、喪に服す、である。

後日、友人が『喪に服す』の詳細記事を共有してくれた。ありがとう。

喪の作業:愛着のあるものや愛する人を亡くしたときなどの悲しい気持ちを乗り越える心のプロセス

ボウルビィの喪の作業:情緒危機→抗議→断念→離脱
キューブラ-・ロスの喪の作業:否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容

Dayaさんのセッションを受けて、グッサリして、そのうえでそのままでもいいと思った。そのままでもいいというのは、目の前のテーマに直接的に向き合うことはそのままでよいということ。回り道しながら最短到達時間を目指す。そういうのは、自分らしいやり方だなと思った。

私が私をケアする右手の役割が全身に広がると、背筋がグッと伸びる感じがして、いつも重たい首や肩甲骨の痛みやコリが緩和していく気がする。そしてそれは、胸がグッとひらくことでもある。世界や外側とのつながり、裸の心とはよく言ったものである。

背筋が伸びる事が増えた。私は悲しかったということも、それでも一緒にいたかっということも伝えることはないけれど、未完了の完了が着実に進んでいくのもわかる。

無駄な出会いや繋がりはきっとなくて、お互いが幸せになる関係性を作るスキルも、意識も、そんな相手との出会いも、きっと私の人生に訪れるんだと思う。

引っ越しも急激に動き出している。式年遷宮。いまのおうちでは収まらなくなっている内側のエネルギーを感じる。スペースを求めているのかもしれない。

June 5, 2021. 


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