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引っ越しとはボディモジュールであり、マインドモジュールでもあるのではないか

この後、業者さんがくる。わたしは引っ越しをする。

隣区なのでとても遠くに行く感じはないけれど、それでも環境は間違いなく変わることを確信している。ワクワクさと、寂しさがある。住めば都、と聞いて、たしかにそうなのかもしれないと思う。

準備のプロセスで、色んなことを手放したように思う。学生の頃たしかに好きだった、でも傷つけてしまったあの子からもらった時計、恋と愛は両立することをはじめて知った元パートナーから一緒に飲もうと買ってきてもらったワイン、私に愛と恋を捧げてくれた彼らにゲームセンターで取ってもらったホワイトタイガーのぬいぐるみ。

そこに想いはあるけれど、ない。そんな複雑なものたちに感謝と、お別れをしてきた。大切にできる範囲は思ったよりも広くない。結果として広かった、はある。

グラウンディングやプロセスワークを知り、それまで以上に感覚がより研ぎ澄まされた。聴こえてくる音は心地の良いものではなく、雑踏や雑念だということにも気付いていた。それは、初日から分かっていたのを、いま思い返す。目を閉じると家の脇を大型トラックが通過していく音、揺れ。そういうものが生活になっていた。

掻き消すように、テレビをつけていることが多かった。テレビも手放した。初めて一人暮らしをするときに、地元のイオンをふらふらしていたら、これだと思ってテレビを買ったのを覚えている。こんな大きな買い物をしたことがなく、母に電話をして買ってもよさそうか相談をしたことも覚えている。

なんとなく、大切な思い出があり、実家に送ることにした。家のテレビの1台が壊れてしまったようだ。父は喜んでくれただろうか。

次の家では、きっと静けさのなかの微細な音に気付いていくんだろう。静かだけど寂しくない家だなといま時点では感じている。何故なのかは知らない。

次の家では、スペースを感じていきたいという内側からの願いもあり、物たちは押し入れに普段は待機していてもらいたい気持ちがある。

次の家、という表現が、数時間後には新しい家となり、1〜2週間もすれば今の家と称するだろう。

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時刻は21;14。荷解きを終え、夕飯を済ませ、寝る準備が整った。いつも不思議だが、すぐに自分の自宅だなという感覚が湧いてくる。慣れとはまた違う感覚。家賃の金額を見るとしっかり高いが、私の場合、この金額を支払ってしっかり住んでいるという感覚がなんだかんだ好きだったりする。(決して安くないし、金額を言葉にすると、まだ怖さやドキドキ感がある)

ストレッチで体が目一杯伸ばせる喜び。ここにサイズがハマるから、という配置の考えではなく、ここに置きたいというのが許せること。

余白をたいせつに。

2021.12.19 21;24 tokyo

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