マインドフルネスがポータブル状態であるというのは
いつ死んでも、後悔はないだろうな。そんな人生を最近は生きている。
全てをやりきったり、伝えたり、そういうのはきりがないのだろうが、いまやれることや伝えたいことは、その瞬間ごとにやっていると思う。
満たされていなさ、という感覚がない。不完全だけれども完全とも違う、いまこの瞬間の完全が、常に更新されていく感じだろう。
なにかを追いかけて、目指しても生きていない。人生はいまこの瞬間の積み重ねで、ミルフィーユの層が積み上がったあとに全体像が見えるものだと思う。
たぶん、マインドフルネスってこういうこと。持論。
ふしぎな感覚と、資本主義のなかでの才能発露は、それぞれ極端に特化していても両立することが、自分の人生を実験台として検証することができました。その先、何を目指してくんだろうな。
2022.02.11 8:56@ tokyo setagaya
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