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老父にいらだつ

 もうすぐ88歳になる父に苛立つ。
 
 子どもの頃はかなり嫌いだったが、私の子どもを可愛がって世話してくれ、雪どけしたかに思えた。

 でも子どもが思春期以降になると、おじいちゃんを冷ややかに見るようになり、会うのを嫌がる子も出てきた。
 何度頼んでも運転免許を返納するどころか、健康で頭も目もいいと自慢する。
 確かに同年代と比べて元気で健康ではある。でもその頑固で老いを認めないところが最大の老害だということに気づかない。

 愛情深く育ててくれ、高い教育費を出してくれたこと、今も支えてくれていることに感謝はしている。でも感謝と愛情とは別だ。

 そこで気づいた。前に書いた『好かれるは蜜の味』の始まりは父だ。
 父は私を溺愛している風だったが、例えば彼氏ができてバレた時、しょっちゅう夜遅く帰ってきた時などにこう言った。
「お前は何でお父さんの嫌がることばかりするんや」

 ケ!と思いもちろん無視したが、いい気はしなかった。愛する代わりに自分の思い通りにする、それは本当に愛情か?暴力や暴言は使っていないけれど、むしろ陰湿な操縦じゃないのか?

 私が離婚したと打ち明けると、子どもたちが反抗的なのはお前に対する反発じゃないのか?と怒り出した。反抗的なのはおじいちゃんが嫌いだからなんだけど。
 90近い老人に苛立つ自分にも嫌になる。全部水に流して穏やかに過ごしたかったよ。

 でもこれが現実。少し距離を置くことにする。親だから愛したり尊敬したりしないといけない訳ではないし、向こう側から見れば理想の親である必要もない。それは私と子供達との間でも言えること、だ。


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