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松岡正剛「大アジア:千夜千冊エディション」~この壮大なエリアの過去を今振り返ることの意味について

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松岡正剛氏は、「編集工学」という独自の手法と観点で様々な事象を「編集」することで、新しいモノの見方や切り口を提示し続けてきた在野の知識人。今年に入って、私はこの人と田中優子氏にすっかり魅せられているので、1年前に出されたこの著作も読んでみた。これは「千夜千冊」というタイトルで長年にわたり氏が発信し続けてきた古今東西の著作の紹介・書評から、ここ20年ほどの間の「アジア関連」のものを「大アジア」というタイトルで再編集したもの。いろいろ学ぶことも多く、また考えさせられることも多い著作だった。

ここで提示されている二つの太い軸~ひとつは世界の歴史を考える上での「西洋史観中心」の見方への反旗・反論。もうひとつは、日本が明治維新以降「アジア主義」として掲げてきた理念・理想がいつしか「大アジア主義」そして「大東亜共栄圏」という虚構の侵略構想にすり替わっていき、やがて悲惨な結末に終わった~という流れをどう見るか。

ここでは、中国が東アジアの世界帝国として唐代から(あるいはそれ以前から)長年にわたり大きな影響力を周辺地域に持ってきたこと、そしてイラン・イラクあたりの所謂中東エリアやカザフスタン・アフガニスタンなど中央アジアでの文化文明がいかに古代から発展を続け、東アジアとの交易・交流が花開いてきたかについての、近年の研究成果が様々な研究者の著作によって紹介されていて、中世・近代までは西欧よりもアジア圏のほうがむしろ文化文明は発展していたことが詳細に語られている。フェルナン・ブローデルの地中海世界を軸に置いた史観やイマニュエル・ウォーラーステインが提示した「近代世界システム」はあくまで西欧にしか目を向けていないが、「世界システム」はまずはアジアから始まり西欧よりずっと前にそれは機能していたのだと。これは、今も根強い「白人社会至上主義」への言わばカウンター言論でもあり、パレスチナのエドワード・サイード「オリエンタリズム」などポスト・コロニアル理論にも通じるお話。

そしてもう一つの大きな軸。それが日本でのかつての「大アジア主義」~これはかなりやっかいである。ここでは、玄洋社の頭山満、孫文らを支援した宮崎滔天など多くのアジア主義者とその足跡が紹介され、彼らが「アジアが欧米列強による浸食から脱却するには日本がアジアに進出し、その独立を促すこと」を目指し、事実、中国の孫文・朝鮮の金玉均・インドのビハリ・ボースら多くのアジア人が彼らと交流しその援助を受けて活動していたことが記されている。ここでの松岡氏の筆致は、「これらアジア主義者たちの理念は、結局は『大アジア主義』として大東亜共栄圏という形に誇大妄想化していき自壊した」ことを認めつつも、これらアジア主義者たちの在り様に概ね同情的・共感的である。日本人としてはこの時期の日本の在り様について少しでも肯定的に見たいだろうし、当時アジアで唯一、欧米列強の植民地化を免れ近代化を達成した国として、他のアジア諸国から目標とされていたことも事実である。だから、朝鮮や中国、東南アジア諸国からも多くの志ある留学生が渡日し、日本に学ぼうとした。ただ、このあたりの日本のアジア主義の流れを無批判に見過ぎると、それは即「大日本帝国肯定論」に繋がり、ひいては「あの戦争と朝鮮植民地政策は悪くなかった」という歴史認識に直結しかねないので、非常に注意を要するところではある。

私はコリアンなので、金玉均に関する部分をことさら興味深く読んだが、彼らが当時の朝鮮王朝の封建制を批判し、その近代化を図るために甲申政変という言わばクーデターを日本の協力の下断行したこと~それがわずか3日で失敗に終わったことの意味は実に大きい。金玉均の評価は韓国では未だ定まらないようなところがあるようだが、彼らを単純に「親日派」として断罪するのも間違いだし、当時の朝鮮王朝中枢が世界の趨勢を見誤り、内紛に明け暮れていたこともまた事実。金玉均はその後日本に亡命したのち、上海で暗殺されるが、彼の行動や孫文の足跡、また他の東南アジア・インドの活動家たちが辿った道すじを見ると、当初は、日本の近代化に学びその援助を求めていた者たちが、その後、日本のアジア主義が持つ侵略性に気付き、失望していく様~それは実に象徴的にあの時代の「大アジア主義」が抱えていた「理想と現実の矛盾と相克」を表わしている。

松岡氏が2020年4月に、改めて「大アジア」というタイトルで過去の著述を再編集し世に出したのも、今あの時代の日本とアジアの関係を振り返り、今後の指標としていくという企図があるのだろう。その意味で、私はとても意味と意義ある出版だと考えるし、多くの人に「あの時代のアジア主義の功罪」について深く考えてほしいと思う。現在の日本で歴史捏造主義が蔓延り虚構の歴史認識が蔓延しているのも、この時代のアジア主義の真摯な検証と批判・反省がまだまだ少ない・足りないことの証左でもあるのだから。また、松岡氏も指摘しているが、当時のアジア主義者に日蓮宗・法華経の影響を強く受けた者が非常に多いことも、宗教研究者などによる検証がもっと必要なところだろう。

<付記>話は全く違うが、私はこれを読みながら、近年のEUでの各国家間のせめぎあい~具体的には、EU内の経済政策が実質的には主導権を握る独仏両国に仕切られ、ユーロという統一通貨を採用し主権国家としての独自通貨がなくなったために自前の経済財政政策を実行できなくなったギリシアの混乱と悲哀~について改めて思い起こした。国家や共同体の統合というのは、どこまでのレベルが最も最適なのか~今も大きな人類の課題である。


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