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テッサ・モーリス-スズキ「北朝鮮で考えたこと」~を読んで考えたこと

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テッサ・モーリス=スズキ氏は英国生まれ・現在オーストラリア在住の歴史学者で、「北朝鮮へのエクソダス」で在日コリアンの北朝鮮「帰国事業」を取り上げるなど、朝鮮半島と日本の関係に造詣が深い研究者。夫は日本の作家・森巣博。これは著者が2009年に朝鮮半島の各所を巡ったときの体験を綴ったもので、2012年の刊。エミリー・ケンプという、かつての英国の画家&作家が1910年「日韓併合」直前に朝鮮半島を訪れた旅をなぞるかたちで、姉のサンディとのふたり旅。エミリー・ケンプは中国から鴨緑江を渡り、そこから平壌⇒ソウル⇒釜山⇒元山へと旅を続けているが、南北分断国家の状況ではその旅程は不可能なので、北朝鮮各所と韓国各所をそれぞれ別に訪れている。なので、この旅行記は正確には「朝鮮半島で考えたこと」なのだが、敢えてこういうタイトルにしたのは、著者の思い・考えが北朝鮮により多く注がれていたということの現れなんだろう。

彼女たちも中朝国境の町・丹東から鴨緑江を渡って北朝鮮に入っているが、当時はまだ金正日の時代。北朝鮮が「苦難の行軍」と言われる異常な飢饉・経済危機状態からようやく脱却し、少しずつ状況がマシになっていた時期だろう。しかし、彼女たちの目に映る山河の姿に緑は少なく、農村で働く人々も機械化は進んでおらず平壌でも車の通行はごく少ない。北の庶民はとにかく目的地に向かってひたすら、歩く。車を使用できるのは党や政府の幹部など要職にあるものたちだけである。2021年現在では、平壌などではタクシーもそれなりに普及してきたようだが。そして「革命の首都・平壌」での主体思想塔や人民大学習堂。この巨大な国立図書館は膨大な書籍・資料を蔵しているとされるが、外国書籍の大半は一般利用者は閲覧できない。また、錦繍山(クムスサン)太陽宮殿にエンバーミングを施され安置された金日成の遺体。神格化・神話化される金日成とその一族。これは1950年代後半から急激に推進されてきたこの国の「個人崇拝独裁化」のひとつの象徴だが、その弊害をどのように言い表せば充分な言説足り得るのか~私には簡潔に言い表す言葉がない。21世紀の今もなお、この「神格化」は北朝鮮及びそれを支持する一部在日コリアンの人々には「心の拠り所」となっているであろう一方、それが朝鮮半島の平和的統一という「未来図」に刺さるひとつのトゲとなっているのも間違いない事実。

二人はその後、開城⇒板門店(軍事境界線)とお決まりのコースを辿るが、当然彼女たちにも当局の案内員(という名の監視員でもある)が複数ずっと付く。そしてその1週間後に今度はソウルから板門店を訪れ北側の掲揚ポールにたなびく旗を見ることになる。ここでスズキ氏が、北の案内員は「非の打ちどころのないイギリス英語」を話していたのに対し、韓国のツアーガイドは「まぎれもないアメリカ英語だった」と指摘しているのが、私には殊の外印象的だった。さもありなん。

またソウルを訪れた時には、朝鮮王朝時代の首都を彩る景福宮・光化門などがかつて大日本帝国によって破壊され、巨大な「朝鮮総督府」が建てられたこと~それらは、その後韓国政府によって復旧され、今や植民地統治時代の痕跡は跡形もないことも記されている。

そして、釜山と元山それぞれを訪問したときの様子が対照的に描かれていくが、かつて日本の植民地時代には、このふたつの朝鮮半島を代表する港町には定期船が就航していたらしい。釜山のおびただしい貿易船や高層ビルの様相と、元山の静かで清々しい街の姿。

また、元山から二人は金剛山観光へも出かけているが、ここで記されている「朝鮮王朝時代から金剛山にあった4つの名刹は朝鮮戦争の戦火で破壊されたが、それらが韓国の仏教団体などの支援によって再建の目途が立った」というエピソードは、一際私の心を和ませた。

自らを「冷戦時代の子」というテッサ・モーリス-スズキ氏の「長生きをして、平壌からの観光客が東京スカイツリーにバスで乗り付けてエレベータの前に長蛇の列を作っている光景を、冒険好きな日本のバックパッカーが新しく友だちになった北朝鮮の若者と金剛山でピクニックをしている光景を、この目で見届けなくてはならない」という言葉に私も共感する。現状ではまだまだ実現の可能性が見えてこない厳しい道のりではあるが。

そして、今日の北の若き「指導者」~金正恩とその妹・与正~その際どい「原理主義的対応」を見ていると、彼らの若さが朝鮮半島の平和的統一という困難な道程には、逆に作用してるようにしか私には思えない。「大胆な協調や妥協」という「大人の対応」を彼らに求めるのは無理筋なのだろうか?そんなことを思わざるを得ない、今日この頃である。






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