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鄭炳浩(チョン・ビョンホ)「人類学者がのぞいた北朝鮮: 苦難と微笑の国」~北朝鮮とは一体何なのか?・・・ひとつの貴重な考察と体験


2022年10月刊

これは今年10月に出版されたばかりの著作だが、一部界隈では話題になっていた。著者は韓国ソウルで生まれ育った文化人類学者で元韓国文化人類学会長、現在は漢陽大学名誉教授。研究生活と共に、若い頃から貧困児童などの教育支援に取り組み、90年代からは所謂「脱北者青少年」の育成支援や北朝鮮への食糧支援など幅広く人道支援活動に力を注いできた、言わば「実践的研究者」である。

これは著者の専門的学術研究書ではなく、長きにわたる北朝鮮との関わりの中で見えて来たこの国の「本当の実状」や「その裏に潜む真意」について客観的かつ愛情溢れる視点で考察した、「実体験に基づく北朝鮮論評集」であろう。

この著作によると、鄭炳浩氏は計6回北朝鮮を訪問して各種飢饉支援物資の援助交渉などにあたり、また中朝国境周辺も何度も訪ね、脱北者たちに直に接触してきたようだが、そうした中で見られる北の当局者の一種異様とも言えるプライドの高さとその堅持~この国の「公式の顔」の頑なさは私も前から理解するが、著者は同時にその裏にある「別の側面」もまた多く捉えていて、硬軟混ぜ合わせたその記述は実に示唆に富むところがある。

著者が言う「劇場国家」「遊撃隊国家」としての北朝鮮という国の特異性~それは建国以来金日成に権力を集中させる独裁体制樹立への歩みと、それ以降の「唯一的指導&思想体制」という名の個人崇拝体制の強化・増強によって一層盤石強固なものになっていくが、そうした国が90年代以降の冷戦終結と大規模水害などの影響で過酷な飢饉状態に陥りながらも、なぜこの体制は揺らぐこともなく盤石なのか?地方に暮らす普通の人々と政権中枢とのあまりの状況の違いは何なのか?・・・この国が持つ極端な二面性と、それでもなお国家としては維持し続けて来た全体像がここにはよく示されている。そしてここでは、この国の金日成一族への過剰な個人崇拝と体制礼賛の構造を、かつての大日本帝国の「天皇を現人神として尊崇し、それを中心とした『国体』を護持することこそが国民(臣民)の務め」という国家構造との類似性を指摘しているが、まことにもっともなことであろう。

この著作の中では、北朝鮮の数々の「歌」が紹介されるが、朝鮮学校の幼稚園に1年だけ通い、また小学校時代には夏休みの「夏期学校」(朝鮮総連が開催する日本学校通学生向けの民族教室)にも通った私にとっても懐かしい歌が多い。こういう文化芸術を通じて国家や指導者への尊崇の念を植え込んでいくのは、社会主義国の常道手段でもある。また、金日成による「伝説上の建国の祖:壇君のお墓」を巡る「教示」やら、古代人類の遺骨発掘での「朝鮮民族~特に平壌周辺の優位性」など、まともな研究者・識者から見ると笑うしかないような「何でも自国・自民族中心主義」についても、著者は決して批判的には記していない。研究者としては到底受け入れがたいそうした「極端な俗論」にも、この国なりの立場や主張が内包されていることを、理解しようとする。その姿勢は、たとえようもなく寛容であり包摂的・融和的である。ちなみに、北朝鮮の「異様な個人崇拝」と「数限りない歴史的事実の歪曲・捏造・創作」は、私が最も忌み嫌うこの国の一側面なので、私はとても著者のように「寛容」にはなれないのだが。

また、この国が抱える多くの矛盾(指導者のみならず権力中枢の多くが世襲によって代々受け継がれ「国家への忠誠」が揺るがないこと、平壌だけは何もかも特別で他の都市や地方とは厳然たる格差があることetc.)についても、かつての韓国が長く軍事独裁政権下に置かれていて、その時代と引き比べれば、「我々も同じようなことを経験したじゃないか」と、そこには自省とある種の共感をも感じさせる。また、著作の最後に出て来る「敵対的共存」という言葉と概念は、林志弦(イム・ジヒョン)「犠牲者意識ナショナリズム:国境を超える「記憶」の戦争」にも出て来るが、まさに南北朝鮮は資本主義と社会主義という違った体制の争いの中で、相互に相手を敵視することで自己の体制を正当化し、体制への支持を維持してきた。現状では韓国が経済的には圧倒的優位にあるが、それが「資本主義の勝利」を意味するわけではない。

この著作~私は朝鮮総連系の人たちなど北朝鮮の国家体制を今も支持する人たちに是非読んで欲しいと思う。ここにあるのは「親北朝鮮」でも「反北朝鮮」でもない、もっと大きな「同じ民族・同じ人間としての大きな愛と温かく差し伸べる手」である。

<付記>ここには、先日観て来たドキュメンタリー映画「ポーランドに行った子どもたち」に出て来た、朝鮮戦争での戦災孤児たちが旧社会主義国に多く送られた話も出て来る。これによると中国に送られたのが一番多く、約2万人とのこと。

<付記2>著者は先月末に東京大学で行われた「小説&ドラマ"PACHINKO"を巡るシンポジウム」にも登壇していたが、そこでの氏の「流暢な日本語」に私は少々ビックリした。1955年生まれなので植民地時代に日本語を学んだ世代ではないし、米国への留学・滞在経験から米語が出来るのは当然としても、日本語は一体どこで学んだのだろう?ちなみに、このシンポジウムで司会を務めていたのが翻訳者の一人:金敬黙氏である。

<付記3>私はこれを読みながら、今年初めに読んだ黄晳暎(ファン・ソギョン)「囚人 : 黄晳暎自伝Ⅰ・Ⅱ」をも様々に思い起こした。黄晳暎氏も2度北朝鮮を訪れ、金日成とも何度か会談し、かなり突っ込んだ話もしている。その中には、在日コリアン運動を巡る「驚嘆すべき話」も含まれる。こちらも未読の方には、是非おすすめである。




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