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褒めることは評価すること

人を褒めるのが上手い人は少し羨ましい。私は人を褒めるのがとても苦手だ。

褒めるのが上手い友人Aは、自分のことをすごく卑下する。目の前の友人Bが決断したことを「本当にすごい。えらい。簡単なことじゃない。」と褒めた途端に、「自分は今日ふたつミーティングに出ただけだ。ダメだなあ。」と言う。不思議でたまらない。
他者はすぐ褒めるのに、自分を褒めるのはすごく下手だ。

もしかして、心から良いと思って褒めていないのか?すごいと思っていないのか?本当に素晴らしいことだと思っていたら、自分の行動も認められるのではないか?

私は気持ちと言葉の一致を重要視しすぎなのかもしれない。

私は嘘をつきたくない。親しい仲であればあるほど、気遣いという名の嘘を言葉の中に含ませたくない。信じられなくなるからだ。

私は皮肉なニンゲンなので、何に対しても批判的な目線を向ける。すぐさま何かの弱点を突こうとしたり、別の視点を登場させたがったりして、相手を不快な気分にさせるのが得意らしい。相手のことを全く褒めず批判ばかりしていると、周りから人がいなくなる。時間の問題かな。

私は褒める言葉に重みを感じる。心から思っていて、疑いなく、明らかであるときにだけ、褒める。そうすると、全然褒めないイヤなやつになる一方で、信用される人になる。

褒めることは他者を評価することである。目の前の誰かを評価して生きている。でも、評価を口に出した途端、私に大きな責任も降りかかる。ビビってる。

言葉に嘘がないという信用を得て、私はそれを糧に生きている。私の言葉に嘘はないんだと自分にすら言い聞かせる。

褒めるなら、自分のことも同じように褒めてあげてほしい。純粋に本当に心から良いと思ったことを中心に褒めてほしい。それを言葉にすると自分も励まされると思うから。

もちろん、褒めなくても良い。他者や自分から評価されることが全てでない。他者の評価なんか気にせず生きることは無理だけど。それが理想だからだ。

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