支離滅裂の日記/環境と人格

先日から春休みなのでアルバイトを始めた。以前教育に対する意識や方針の違いで塾講師のアルバイトを辞めたのだが、今回は倉庫作業。上司に歯向かわざるを得ない状況など無いだろう、と安心している。

実際、素晴らしい職場だった。福利厚生は行き届いているし、労働者の健康、安全を第一に考えている。そして何より、上司がまともであった。合理的な厳しさと人間的な優しさを合わせ持つ人間の下で働くのはこんなにも楽しいものなのか。

素晴らしい環境を与えられ、思うのは「感謝を労働で示そう」ということであった。常に勤勉に作業に取り組み、上司の発言に真摯に傾聴した。結果、自分は高い評価を受けることになる。「好青年」「仕事が速い」「頭が良い」など。自分で羅列するのは恥ずかしいが、誉められて嬉しいので許して。

だがそもそも、自分は常に勤勉に何かをしてきたはずだった。勉強や実習、塾講師だけでなく趣味ですら他の誰より主体的に考え、行動してきたはずだ。なのに自分はいつも孤独だった。実際、周りを見下していたし、「嫌な奴」ではあったと思う。しかしそれは周りがあまりにも不真面目だったからで、大多数の不真面目な人間が作り出した社会常識の中で、自分は異常だったに過ぎない。それでもずっとマイノリティーでい続けた結果、世界に対する憤怒や憎悪が消えることは無かった。

しかしそれは、大学や塾など、狭い閉ざされた世界でしか無かった。それらを飛び出せば、自分がマジョリティーに属せる世界がある。そう思うだけで、涙が出るほど嬉しかった。

同じ人格でも環境次第で、「好かれる人間」にも、「嫌われる人間」にもなれる。良い奴とか悪い奴なんてのは、周りが決めることだ。これからも俺は、俺の生き方を続ける。

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