支離滅裂の日記/殺人願望

多分鬱だが、死にたいと思ったことはない。正確には、思った瞬間に脳から消し去っている、のだと思う。自分の死に対して、とある「ストッパー」をかけているからだ。

どこにいても居場所が無い。鬱の姉がいる家庭では将来有望な息子でいなければいけないし、大学では意識の低い園児に囲まれ、ネット上ではモラルが崩壊した犯罪者予備軍が祀られている。本音を言える場所などは無い。言ったところで暖簾に腕押し、糠に釘。それどころか脳の無い生物に噛みつかれ不快な思いをするだけだ。大人や権力者は私益や保身しか考えず、腐った世の中に絶望する。

別に自分の考えが正しいとは思わないが、少なくとも他人よりは世の中を良くしたいと思っていることは分かる。これは傲りではなく、経験則だ。とは言え社会の被害者面をするのも疲れた。そんなことをしたって「お前が悪い」の一言で片付けられることは、これまでの人生を考えると想像に難くない。

時折全てを滅茶苦茶にして、無に帰してやりたいと思う時がある。世界の理不尽に負けた時、自分の持てるあらゆる理不尽を世界に返してやりたい。そう考えている自分がいる。周囲の人間に対して有りとあらゆる罵詈雑言を吐き、器物をできるだけ損壊しながら頭を壁に叩きつけたい。それが本当の自分だから。死ぬ時は絶対に下劣な人間の顔面をぐちゃぐちゃにしてから死のうと思っている。本当はこの惑星を粉々にしたい所だが、生憎そんな力は無い。完全な無が叶わないなら、一人でも多くの人間を無に帰して、同じ肉塊にしてやりたい。

これが自分の「ストッパー」である。自分にはまだ人の心があるから、誰も殺さないし死のうともしない。他殺という最悪のハードルを越えなければ自殺に至れない。それが自分が命を捨てない理由である。

自分だって死の淵まで何かを憎みながら生きたくはない。自己救済の手段を探してどれだけ経っただろうか。それが「死」ではないことを、心から祈っている。



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