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「こどもとおとなのちがい」のはなし

先日、「子どもらしく生きられない社会」をという言葉が目に入った。
それを見た瞬間になんかモヤッとした。次の瞬間には

「こどもとおとなの違いってなんだろう?」と思考の海に沈んでいた。

こどもって何?

とりあえず「子どもとは」とググってみる。
結果は大体わかってるけど、一応ググる。

児童福祉法第4条第1項の定義では小学校就学の始期から、満18歳に達するまでの男女。 ... 学校教育法第17条・第18条の定義では「学齢児童」とし満6歳になった翌日が属する学年の始まりから満12歳となった日が属する学年の終わりまでの期間にある子供

「これこれ!納得!」
なわけがない。
でも事実としての子どもの定義ということだ。

この後はググるもよし、思考するもよしってことで考えてみた。

さまざまな条件


「お金を稼ぐ」
確かに。と思いながらもお金を稼がない大人もいれば、お金を稼ぐ子どももいるなと思う。

「責任能力」
近い気がする。
でも無責任な大人とかよく聞くし、子どもに責任ってなんだろう。
親は子どもの責任を持っている。
ということは成人までか?
でも親は死ぬまで責任を持ってそうな気がする。
そして責任「能力」と言われると人によっては様々な理由で満たない人もいるかもしれない。

「自立している」
なるほど。
自立ってことは経済能力もあり、自分の身の回りのこともできる。
これか?これっぽい感じがする。
でも、大人でも掃除洗濯ができない人もいれば(汚部屋的な?)それをお金で解決するパターンとかもある。

価値観の認知

年齢ではない気がしていた。
ここまで書いてきて、ふと浮かんだのは
「自分の価値観を認知しているか」
ということじゃないかということ。
子どもの頃は自分の価値観なんて「カチカン?」て言う感じだったけど
とても覚えている記憶が二つある。
何故それを言ったかは覚えていないけど、自分の価値観を認知した発言だった。
小1の時、親に「今日からパパママと呼びません、お父さんお母さんと呼びます」宣言
小5の時、親に「ファミリーコンピューターは僕に買い与えないでください。人間がダメになります」

意味不明だけど、明らかに自分の中で「価値観」が認知された瞬間だったと思うし、それによって行動が変化した。

そうやって、いつの間にか「自分の大切にしていること」に気づき始める。
仲間を大切にとか
老人に親切にとか
挨拶は元気よくとか
スーツは着たくないとか
それは様々だろう。
この価値観の「認知」が大人になる一歩なのかもしれない。

でも、認知だけでいいのだろうか?
「スーツは着たくない」んだという価値観を知ることが大人か?

そこで気づいたのは「他者貢献」だった。

周囲の人に行動できるのか


息子のお友達が、家に遊びにきて
「きちんと靴を揃えている」
「おじゃましました」
とか言える子を見かけると
「しっかりしてるね」と嫁さんと話したりする。

この「しっかりしてるね」は大人という意味に近い気がする。

「自分の価値観を知り、社会に(他者に、周囲に)貢献できる人」

「スーツ着るのはいや」という価値観はスーツを着る会社で反抗することではなく「スーツを着なくても楽しく働ける場所」を探すことだろう。
「時間に縛られたくない」とかは遅刻してもいいのかという問題よりも遅刻することで失う信頼を担保にしても我が道を行く「意味」を知り自ら選択し、遅刻によって相手の時間を奪わないように配慮するということ。

これが大人な気がしてる。

何か困ってる人がいれば、助けてあげて
できることを、必要なところに提供し
言いたくないことも、その人を思えば言う覚悟もある
大人ってかっこいいもんだ。

子どもの正体

では「子ども」ってなんだろう
「価値観を探して、自分のやりたいことをやる人たち」
ってことか(大人の逆にすると)
ふと「自分探しの旅に出る人たち」を思い出した。
もしかすると自分探しは「他者貢献」することで見えてくるのかもしれない。
では「子どもらしく」ってなんだろう
ここまで書いてきて、人間はみな子どもなんだと思った。
無邪気さや自己都合で思考する。
でも、ひとりでは生きることができないし、周囲と一緒にやると創発されるし、自分のことが何よりも一番深く理解できる。
というか、周囲の存在がなければ無力だ。
やはりここでも、二元論的思考で本質が見えなくなっている感覚を覚えた。
「子どもらしく」の裏には「大人らしく」があり
「子ども心を失った」の裏には「面白くない大人」が暗示され
「子どもっぽい」の裏には「大人だね」という無邪気さへの批判がある。

大人の定義

「みんな子ども。でも自分の価値観を知り、周囲の人のために行動できる人」

これが大人という定義なのだとしたら、大人っていいじゃないか。

これから、子どもたちをみる眼が一つ増えた。
「自分の価値観」で話や行動をしてるのか?
「周囲の人」のために自ら何か行動を起こしたか?

もしかすると社会には「子供な」会社って多いのかもしれませんね。

ひとつひとつを大人になる階段のように登るのを
こうやって丁寧にみていく未来はとても楽しいと感じた。

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