見出し画像

「ハードボイルドな体験」

オーストラリアに留学して間もない頃の話。

高校入学準備のため、半年ほどシドニーの語学学校に通っていた。
まだ15歳だった私はワーキングホリデーなどで滞在している大学生や若い人たちに可愛がっていただき、ほとんどの時間を日本人とつるみ、日本語を喋って過ごしていた。

そんな一時期。

関西出身のNさんと仲良くなり、よく一緒に釣りに行ったりしていた。

ある日のこと。

キングスクロスというギャンブルと風俗にまみれたいかがわしい駅の近くをNさんと歩いていた。
確かその近くにあった日本食レストランでランチを食べた帰りだったと思う。

駅から少し離れた直線の歩道を2人で並んで歩いていると、すれ違いざまにいきなり首をつかまれて、脇の路地裏に連れ込まれた。

気が付くと私は、スキンヘッドの白人に顎を掴まれて、壁に押し付けられていた。
その横にはもう一人似たような恰好をした白人の男が立っていたが、先ほどまで一緒にいたNさんの姿はない。
状況がまったく理解できない私は完全に固まっていた。

私を掴んでいる男は憎しみを込めた目で私を睨み付け、何かを言っていたが当時の私の英語力では「You...」しか聞き取れない。
隣の男も怖い顔で私を睨んでいる。

「この人たちは誰かと私を間違えているのだ」
と解釈した私は、「I don't know you」と言ったのを記憶している。

私の身体が持ち上がりそうなくらいに強い力で掴まれていたのだが、まだ反抗期を抜けきらない時期でもあった私は
「人違いでここまでされるとさすがにムカつくな。おそらく柔道とかは知らないだろうから左手で手首取って、右で肘の関節取ればいけるかな」
などと考え、相手の腕に視線を移した。

すると私の顎を掴んでいる腕は、手の甲に至るまでタトゥーがびっしりと入っており、太さも尋常ではなかった。

その瞬間に私のささやかな戦意はきれいさっぱりと消滅した。

やがてもう一人の男としばらく何か言葉を交わし、そのあとで私は解放された。
走って逃げるのはなんだか嫌だったので、早歩きで私はその場を離れた。

大通りに戻ると、かなり離れたところを歩くNさんの後ろ姿が見えた。

私は走ってNさんに追いついて声をかけた。
するとNさんは「おお、どこいっとんたん?」と言ったのだが、その声はあきらかに震えていた。

そのあとの会話は憶えていないが、「もうこの人とは絶対に付き合わない」と決めた。

というところをオチとして、この話を今まで何度か飲みの席でしてきた。
今でも古びたフィルム映画のような画質で部分的に映像としても記憶があるのだが、久しぶりに思い出してみて思った。

これって結構危険な状況だったなぁ、と。

若い頃は「こんなすごい経験しちゃったぜ、うへへ」としか思っていなかったけれども、今考えるとあの連中は相当アジア人が嫌いな人種差別主義者だったのだろう。
何しろ見ず知らずのアジア人をいきなり路地裏に連れ込むくらいなのだから。
何もされなかった理由は推測でしかないが、思ったよりも私が幼かったこと、会話にならないくらい私が英語を理解しなかったこと、それと何より昼間だったことだろう。

あれは笑い話ですまなかった可能性は大いにあったなぁと今更だが思った。

46歳になって初めて本気でそう思ったのだから本当に私は楽観的なのだな。

ちなみにNさんとはそれ以来本当に関わることなく今に至っている。
「低血圧だから朝起きれない」と言って語学学校も遅刻ばかりしていたのだが、やがて学校にも来なくなった。
でも父親が会社を経営しているという話だったので、きっとあの人なりにうまくやっていることだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?