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「ギター夜話 6年間」


40歳から真剣に取り組んできたギター練習もついに6年が経過した。
小学校だったら丸々入学から卒業までである。
子供の時は永遠に近いくらい長く感じたものだが、この年齢になると「気が付いてみたら」程度だ。

でも6年間というとちょっとした期間ではあるし、平均して1日2時間くらいの練習は積み重ねてきた。
フルアコ ⇒ ガットギター ⇒ アコギ。
フラットピック ⇒ フィンガーピッキング ⇒ フラットピック。
と、少し迷走気味ではあったものの、一貫してギターを、音楽理論を学んできた。

もし、毎日2時間だけでも何かを真剣に勉強、練習すれば5,6年経った頃には凄いことになっているのではないだろうか。
そんな妄想を実際に行動に移したわけだ。

その結果。

客観的に言って、現在の私は中級者の辛うじて中くらいのレベルである。
もう少し言うなら、ようやく弦の押さえ方や弦を弾く右手、フラットピックの使い方が正しく分かってきた程度である。
6年が過ぎてようやくいろいろなことが分かってきて、ようやくスタート地点に立つことができた。
そんな感じである。

自分に厳しいのか?
否。
謙遜でも何でもなく、正しい認識だと思う。
私の前に立ちはだかり続ける最大の壁というのが「アドリブ演奏」なのだが、この壁を乗り越えるために多くの教本を購入し、数えきれないほどのYoutube動画を観てきた。
ジャズギターも3年間は先生について習っていたこともある。
そして私は最近になってある結論に達した。

「アドリブ演奏に近道はなし」である。

コードに対するフレーズを丸暗記することはできる。
暗記しているフレーズとフレーズの間をコードトーンだけで埋めることはできる。
でもそれは私が求めているアドリブ演奏ではない。

先日。

プロとして活動していたこともあるギタリストの友人が遊びにきた。
明るいうちから白ワインを飲み、修理から戻ってきたばかりの我が愛器であるMartin oo-18を肴にしていた。

私が弾くのは普段から練習している曲である。
なんとなく弾き始めましたというように弾いているが実はギターを手に取るまでに頭の中で何度もコード進行とポジションをシミュレーションして、ちょっと酔っているけどちゃんと弾けるかな、「上達した」と言ってもらえるかな、などという姑息な考えが渦巻いている。

外から見ればワインでほろ酔いになりながら適当に弾いていますという態度を装っているが、本当の中身はピアノの発表会に出ている子供と大差はない。

ところが友人は違う。

ギターを手に取るとリズムに合わせて体を揺らし、部屋でかけていた音楽に耳をすませる。
そしてベースラインの音に合わせて徐々にコードを鳴らし始め、しばらくするとアドリブで合いの手のようなリフを入れ始めるのである。

これぞまさに音楽人である。
そしてこれこそ私が追い求めている到達点である。

まだまだそこは遥か遠くて、実際はまだゴールまでの距離も測れないくらい遠い。
いろいろな道からそこに到達することはできる。
でも近道はないのである。
若ければ速く進めるだろうし、楽しむことができれば苦労を感じることなく距離をかせぐことができるだろう。
でもやっぱり近道はなくて、速くても遅くてもみんな同じ距離を歩かないといけないのだ。

焦る気持ちは常にあるのだが、できるだけ長い道中を楽しむことにしよう。

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