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「一日一日」

インドのブッダガヤという町にあるお寺にて。

これから瞑想の修行を始める私たちにむかって、そのお寺のお坊さんがこう言った。

「あなたたちがインドに行こうと思ったときに、あなたたちの心はもうすでにインドにきていた。週末を楽しみにして過ごしていれば、心はすでに週末にある。今が退屈であれば楽しかった過去に、未来に心は飛んでしまう。今という現実にあなたの心はいないのです」

そう言い終わったあとに電話が鳴って、オレンジ色の袈裟の袖から携帯電話を取り出し、「アッチャ、アッチャヘイ」とか答えたのには崩れ落ちそうになったが、20代前半の私はその言葉に大変な感銘を受けた。

そのあと数日間、誰とも喋らないどころか、目を合わせてもいけないという行住坐臥、常に瞑想状態という修行をおこない、心を現在自分がいる場所と瞬間に常に留めるという状態を体験した。
その状態について詳しく書くと長くなるが、朝のひんやりとした空気の中、昇ってきた太陽の温もりを頬に感じただけで震えるほど感動したのを憶えている。
小学生のときみたいに一日を長く感じて、しかもその一日は喜びや感動にあふれていた。

帰国すると、その瞬間、瞬間を大事に感じていたのが次第に一日になり、会社勤めをすると週末の休みを考えながら一週間が仕事と食事とお酒で一日一日の見分けがつかないようになった。
「もう一年が過ぎたのか」
これまで何度そう思ってきたことか。

そして今年である。
平日も休日も朝は5時に起床。
朝活としてイヤートレーニングやギターの練習(音は出さないように)を30分。
夜も2時間から3時間のギター練習。
そして寝る前に10分ほどヨガ。
平日は昼休みにジョギング、腹筋と背筋。
休日は朝に長めのジョギング。
お酒を飲む回数もめっきりと減り、一年の半分は飲まずに過ごした。

そもそも人間はどんな生活にも慣れるものだが、私は特にこういったものを継続させるのが得意である、と自負している。
空腹で食べるごはんは本当に美味しいし、夜はスイッチが切れるようにして眠ってしまう。
ギターが上達すれば嬉しいし、音楽理論で理解が進んだと実感できる瞬間も楽しい。

瞬間、瞬間を感じ取るあの状態で会社員生活を送るのはどんなに器用な人でも難しい。
でも一日一日を丁寧に積み重ねることはできる。
イベントやエンターテインメントではなくて、丁寧に過ごす一日から自然と湧き出してくる泡のような喜びや笑いがとてもいい。
食べ飽きない果実みたいでいい。
私の心は今日という一日にある。

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