私の目指す母親像、家族の形とは。


私は昔から人を羨むという感情があまりない。


これは良くも悪くもで周囲と比べない事はとてもいい事なんですが、その反面半ばどこかで「どうせ…」と諦めみたいな感情があったからなのかなとも思ったり。

そんな自分が唯一羨ましいな、と思ったは

顔が可愛いとか容姿が整ってる事でもなく
頭が良くて勉強ができることでも
スポーツができることでも
お金持ちの家に生まれてる事でもなく

親と仲良しって事なんですよ。やっぱり。
でも良好な関係だから必ずしも羨ましいわけでない。


例えば大人になってから知り合った中には両親とすごく仲良さそうな子もいました。


しかし家のルールがとても厳しかったらしく、上京するや否やとても親に言えるような事を繰り返す始末。


多分その子からすると反動で制御できない部分があるんだと思うんですが、相変わらず親とは仲良しなんですね。


申し訳ないけど大好きな親御さんを裏切ってるように見えたし、逆に親御さんもそれって(自分達から手が離れた途端我が子が人に言えない事をする)子育てにおいて成功って言えるの?

なんて心の中でモヤモヤしてました。
当人らが幸せであれば外野の感想など
何の価値もないんですけどね。



まぁ何が言いたいかと言うと親との関係が良好だからって一概に羨ましいとは思わないって事です。


中学時代の友達の話。


この子が唯一私が羨ましく思った子です。
以後Aちゃんとします。

彼女の母親はとても若かった。

見た目はもちろんの事、実年齢も若く確か19か20才で長女であるAちゃんを産んだらしい。

ヤンキーっぽい雰囲気があり口調もそんな感じなのに不思議とキツく聞こえない話し方の人でした。


当時友達親子という言葉が微妙に流行った年代であったけど、メディアで取り上げられていたようなベタベタした依存関係?みたいなのではなく、何だか本当に友達みたいだった。

私は当時家がやばかったのでAちゃん家族によくお世話になっていた。一応影で母親はお礼などはしていたそうだけど。

でも別にそういうのを求めているわけでも可哀想な子だからと憐れむわけでもなく、娘の友達の1人として自然に交流してくれていた事は親になった今より色んな気持ちが溢れてくる。

Aちゃんのママはとにかく中学生の私たちと同じ目線だった。もちろんちゃんと「大人として」なんだけど、変に大人だから親だからと偉そうにはせず、見た目が若かったのもあるかもしれないけどちょっと歳の離れた本当にお姉さんみたいだった。

そんなAちゃんのママが、1人の親になった今私の目指すロールモデルだったりもする。


具体的なエピソードは次の記事に書こうと思います。








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