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般若心経の意味、わかってますか?

夫の親戚宅にお邪魔し、法事に参加した。
お寺さんに冊子を渡され、
「32ページから」と言われる。
そして皆で般若心経を声を合わせて読む。

と、ここで根が真面目な私はふと思う。

──え、これ、どういう意味?

漢字だからわかりそう。で、わからない。
わからないのに音読だけ無心でやってて、
この時間、意味ある時間なのか?
意味わからんのに読むって無駄じゃないか?

そこからは音読を止め、黙読になってしまった。それでもやっぱりわからない。わからない。悔しい。意味がさっぱりわからないものを時間をかけて読み続ける。なんて無意味な時間なんだ。こういうのを時間の無駄っていうんだ。

ただ、般若心経の響きはやっぱり心地よい。幼い頃、曾祖母はよく仏壇に手を合わせて般若心経を唱えていた。へー、こんなにながいのぜんぶおぼえてるんだ。やっぱひいばあちゃんあたまいいなー。それともひいばあちゃんくらいながいきしたら、しぜんとおぼえるんかなー。なんて思っていた。

ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー

響きが面白くて、そこだけ自然と覚えていた。ギャーテーギャーテーと曾祖母の真似をして遊んだ。

そんな姿を懐かしく思っていたら、気付けばお経は終わっていた。

せっかく祖先を思い法事に参加しているのに、メインイベントの意味がわからないのは嫌だ。そして、曾祖母があんなに大事に唱えていた般若心経の意味が知りたい。

そう思った私は家に帰って本屋さんに行って、般若心経の本を一冊だけ買った。

最初に般若心経全文が載っていた。
意味が知りたいという思いで熱心に読み始めたのだが、般若心経の解説の後半部分を読んで驚いた。

「真言の力は、意味ではない」

「たくましい音の連鎖が、あなたを苦悩から救い、若い命を再現する」

般若心経を聞いて、"響きが心地よい""面白い"と思っていた私は、自然と般若心経の意義を感じていたのだと思った。

意味ではない。意義だ。

意義を知りたい、という思いにかわり、この本を読み進めた。一度読んだだけではやはり真髄はわからなかった。だから繰り返し読んでいる。少しわかりはじめたような気がする。

この本の表紙には、「すべての悩みが小さく見えてくる」とある。

実は今、私は今までの人生で経験したことがないドデカい悩みにぶち当たっている。とても乗り越えられる気がしない壁である。悩みはじめて数ヵ月経ち、悩みを忘れる時なんて一瞬たりとも無いのに、どうやって乗り越えればいいのかさえ、皆目見当がつかない。もう全てを捨てて逃げ出すしかないな、という結論に辿り着こうとしている。

でも、これを読んでいると、この壁自体がまぼろしなんじゃないかと思えてくる。

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄

この本は以下の文章から始まる。
「ここに書かれている生きた知恵を、チョットひねり出し、うまく自分のものにすると、すごくつらい環境にありながらも、とても楽しい生き方に、ふと目覚めることができる」

え、まじで。
半信半疑で、今日も私は壁にもたれながら、壁を乗り越えられることではなく、壁が消えてなくなることを淡く期待しながら、ゆったりと般若心経の読書を、くり返す、くり返す。

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