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『神さまと神はどう違うのか』基礎教養部

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しばしの間お待ち下さい。

本書『神さまと神はどう違うのか』は、「神」と「神さま」を題材に宗教哲学の入門書である。語り口は柔和で読みやすく工夫されているが、内容としては「神さま」とはいかなる存在なのかを哲学の視点から検討するかなり本格的なものに仕上がっている。書評内でも述べたが重要なことなので、「神」と「神さま」の概念に触れておく。「神」は西洋哲学の対象、「神さま」は宗教的信仰の対象である。以後、カッコ付きの表記はこれを念頭においたものと考えて欲しい。
特に、本書中では裏テーマとして「がある存在」のことを挙げているが、これが本書を通して極めて重要な働きを果たしている。
本書の概要を大まかに説明したところで、徐々に個人的な所感や意見を述べていくことにする。
毎回の如く、『実際に本書を手に取って下さい」と言っているような気がするが、今回も例に漏れず本書を読んだ後に本記事を読んで頂けると嬉しい。

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所感


私は、初めてタイトルを見た時にその意味がよく分からなかった。より正確に言えば、「神さま」と「神」を異なる概念として認識していなかったのだ。私はこれまで神と言ったら「神さま」を想像していたが、「神さま」の背後に「神」を想起しているという記述に納得した。
また、後ほどクオリアという概念にも触れるが、等しさについて考える一幕でクオリアを用いて説明を試みる場面があった。そこでは人間の意識・神経信号についての言及があったが、どことなく『人類はどれほど奇跡なのか』や『唯脳論』の議論を思い出させるものだった。脳について考察を進めると似た結論が得られる事は非常に興味深かった。

クオリア

現代哲学においてクオリアは、特定の物理過程との関連に見られる主観的な意識経験を表す言葉で、一般に「感覚質」と言われるものである。前回のnote記事でも人間が人間たる所以に高度な意識があるのではないかという話をしたが、人間の意識および脳みそはまさにクオリアである。
例えば、自分の隣にいる人と目の前にある1つの赤いリンゴを見ているとして本当に2人は同じものを見ていると言えるだろうか?当然、補足対象となるリンゴは1つなのでモノ自体が違うということはあり得ない。しかしながら、リンゴのイメージを受け取る脳みそは2つ存在している。これが厄介なところである。私たちが目の前のリンゴを見た時に、「赤い」と感じる為に複雑なステップを経ていると思うことは無いが、この過程は想像以上に複雑怪奇である。赤いリンゴを赤いと感じているのは、特定の波長の光を人間が受け取り、脳が「目の前の物体は赤だ」という変換をして信号を出しているのだが、変換という部分が判然としない。ここまでの議論を追ってもらえば分かる通り、正に赤いという感じがクオリアなのだが、クオリアの正体は謎のままでである。
これが生物種を超えた話になるとより明確である。人間よりも色彩感覚が鋭いまたは鈍い生物では、紫外線の受け取れる範囲が違う。従って、人間が赤だと感じたからといって他の生物が赤と感じられるわけでは無い。つまり、「赤に感じる」というクオリアはそれ以上掘り下げることが難しいのである。
これは視覚だけなく、聴覚、痛覚、嗅覚等々の様々な感覚に対して同じことが言える。言語表現などのさらに間接的な伝達手段では、そのギャップがより大きくなる。私たちが捉えたと感じているものは、全てが脳の中で再構成されたものと考えると虚しくなるような気もするが、仕方のない事実なのだ。

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ここまででは、主に本の中身に関わる話をしてきたので、少し自分の書評した本の分析を試みみようと思う。
直近2つの書評は山岳信仰、バッハに関する書籍であったがいずれも「神」及び「神さま」に深く関わっている書籍である。書籍の本を選ぶ際にこのことは全く気にしていなかったが、自分の中でも神に対して興味があるのかもしれないと感じた。
神についての色々を考える前に、神とは何かを考える姿勢は正に哲学そのものだ。今後の書評活動でもこの基本を忘れないようにしたいものである。

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