吉田洋一『零の発見』【基礎教養部】

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まず、中に任意の個数のクッキーが入っている箱を用意する。その箱を開けて中身を確認するという状況を想像してほしい。その際に箱の中にクッキーがなかった場合どのような言い回しをするだろうか?ほとんどの人は「中身が無い」や「何も入っていない」と表現するのではないだろうか?その際に、クッキーが0個だけ入っているなどと表現するのは奇怪にさえ思われる。
このような非常に回りくどい話をしたのは、零という概念を捉える事が日常生活の中で自然に行われるものではないことを確認してもらうためであった。本書の題名にもなっている零という概念の発見(発明)に要された年月は呆れるほどに長く、その発見は偉大なものであった。

『零の発見』は数学者の吉田洋一氏の代表作ともいえる作品で、その名は数学に関する読み物として古典的な名作であるとして知られている。本書は零をめぐる数学の歴史の流れを語ることを軸とした通俗的読物集である。その前半部分にはかつてエジプト、ギリシア、ローマなどで用いられていた記数法が紹介されているのだが、これらの記数法ではことさら零という概念が表出するものではなかった。これにより零を数として認識するに至らなかったものと考えられている。それに対して、少なくとも7世紀の初め頃には零の概念を既に理解していたとされるインド記数法が紹介されている。かつて古代インドで使われていた記数法が、現在我々が日常的に使っている10進法に近かったとされ、位取り記数法つまり零の発見への大きな一歩を踏み出したものと考えられている。位取り記数法では0から9までの数を用いることによって、想像もできないような大きな自然数を表す事が可能である。我々は日常的にこの記数法を用いているために、その偉大さをあまり認識しないが位取り記数法の発展こそが数学の発展を支えたといっても過言ではないのだ。
このような営みを経て人類は零を数として認識するようになっていったのである。零を発見したこと(位取り記数法がよく使われるようになったこと)によって、小数記法という概念が生まれた。程なくして分数を小数として表す際に、小数がどこまでも終わらないような分数が存在するということが知られてきた。これが人類と無限、連続との出会いである。無限や連続といった概念は、現在数学の一大分野として取り扱われている解析学の基礎を成すものである。
本書の後半部分では、人類と無限、連続との歴史の流れを軸として、ギリシアの数学の発展を見ていくという構成になっている。特に「直線を切る」ことで無限と連続を捉えるデデキントの考え方を伝えるものとなっており、数学に親しんでいない者にとっては前半に比べてやや難解である思われるが基礎的な数論を味わえる内容であり一読の価値はある。

本書の概要とその流れのみを書くというのもいささか退屈に思われるため、私が興味深いと感じた一説を紹介して結びとする。奇しくもその一説は数学に関するものではないが、非常に示唆に富む。それは、「自ら画期的であると称したものが真の意味で画期的であることは稀でないか」というものである。画期的であるようなものは自然と我々の生活に溶け込み、次第に画期的であったことさえ忘れ去られてしまう程に生活と結びついていく。その意味でも零の存在を我々が偉大なものと思わないことはごく自然なことなのだろう。ただ、時折立ち止まりそれらの存在に思いを馳せるのも良いことなのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えながら今日も私は「零」を使って生きていく。

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